歴史上最悪な海と川の事故25選(海難事故の死者数順)

今回は歴史上最も大きな海難事故をご紹介します。死亡者数順に並んでいます。ただし、戦争による死亡者は含まれていません。

25.サセックス 死者498名

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1694年3月、大砲を80砲搭載したイギリスの3等艦が、猛烈な嵐に巻き込まれ、ジブラルタルで消息を絶った。

船には少なくとも10トンの金貨が積載されていた。現在の価値にすると、およそ500億円になる。これは難破船として、歴史上最も価値が高いものだと考えられている。

事故当時、乗客は500人いたが、助かったのはジブラルタルの岩礁に打ち上げられた2人だけだった。現在、失われた金貨を求めて、深海の調査が行われているが、難破船の行方は未だ分かってない。

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24.エルトゥールル 死者533名

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オスマン帝国海軍が所有する木製戦艦が1890年、日本を訪問した帰路に和歌山県串本町沖で台風に巻き込まれ座礁した。この事故で、乗員533人が死亡した。

事故の際、地元の住民が、座礁したエルトゥールルの元に駆けつけ、69名が救出された。生存者は日本海軍の「金剛」、「比叡」によって、丁重にオスマン帝国まで送還された。

現在、この事故の痕は、串本町にある慰霊碑によって刻まれている。
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23.アトランティック 死者535名

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アトランティックは、タイタニックを所有していたホワイトスターライン社の大西洋定期遠洋船である。イギリスのリバプールから、ニューヨークまでをつないでいた。

1873年4月1日、アトランティックは、カナダのノバスコシア州沿岸で座礁、沈没。乗員535名が亡くなった。当時としては、最も死者の多い民間の海上事故であった。

22.グランドキャンプ 死者581名

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1947年4月16日、テキサス港の波止場に留め置かれたフランスの船舶に火災が発生した。

消火活動はされたが、火勢は強まり続け、船に積んでいた硝酸アンモニウムに引火して、爆発を起こした。この爆発により、近くの建物が1000棟以上倒壊し、海岸沿いの化学プラントに延焼して被害をさらに広げた。

2300トン積んでいた硝酸アンモニウムの爆風は凄まじいものだった。高さ4.5mの波を産み出し、160km離れた海岸にもその波が到達した。また、事故現場から16km離れた飛行機にも伝播し、翼の一部が破壊されるという事故も発生。

この事故で最終的に581人が死亡し、5000人以上が負傷した。

(事故現場から400m離れた駐車場の写真)
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21.ノルジェ 死者635名

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ノルジェは、デンマークのコペンハーゲンからニューヨークをつなぐ、主に出稼ぎ人が利用する定期客船だった。

1904年6月28日、ノルジェは71人の船員と694人の乗客を乗せて、ニューヨークに向かった。同日ノルジェは、イギリスのロッコール島近海で、霧が濃く、視界の悪い中で座礁する。

数分後、船長は乗り上げた岩礁から離れようと舵を切ったが、そのときにはもう手遅れだった。衝突によって、船体には大きな穴が開いていたからだ。船内に水がなだれ込みはじめた。船員はすぐさま救命ボートを降ろし、乗客の救助に向かった。

しかし、船の沈むスピードの方がずっと早かった。多くの人は沈みゆく船に引きずりこまれることを恐れて、海の中に飛び込んだ。

8日後、3隻の救命ボートに乗った160人が救助された。海の中に飛び込んだ人たちは、ほとんどが溺れたり、激しい風雨にさらされて命を落とした。

20.プリンセスアリス 死者650名

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プリンセスアリスは、水車型の推進器をつけた外輪船である。

1878年9月3日、プリセンスアリスは、テムズ川を架けるロンドン橋とグレーブゼンド間のナイトクルーズを行っていた。そこに同じくして、石炭運搬を行うSSバイウェルキャストルもテムズ川を航行していた。

2つの船は急接近していることに気づき、エンジンを逆噴射させ針路を変えようとしたが、衝突。バイウェルキャストは、プリンセスアリスの右側の舷(げん)にぶつかり、4分後にプリンセスアリスは沈没した。

この事故で、プリンセスアリスの乗員650名が死亡した。死体の多くは、後になって岸辺に流れ着いたのが確認されている。

19.カモルタ 死者735名

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1902年5月6日、カモルタはインド南東のマドラスから、ミャンマーのヤンゴンに向けて航行していた。

カモルタは航路の途中、インド洋のベンガル湾で竜巻に遭遇する。一週間たった5月13日になっても目的地に到着しなかったため、他の船舶がカモルタ捜索に向かった。

捜索からおよそ1ヶ月後の6月4日、海底27mに沈んでいる姿が発見された。マストが海面から2mほど突き出しており、それが目印となった。

この事故で655人の乗客と82人の船員が死亡あるいは行方不明となった。

18.ブルワーク 死者736名

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1914年11月26日、イギリス海軍のHMSブルワークは、強力な内部爆発でバラバラになり、メドウェー川に沈んだ。

船員は750人いたが、助かったのはたった14人だけだった。爆発は、ボイラー室の近くに置かれた無煙火薬が過熱されたために、起きたのではないかと考えられている。

17.プリンセス・オブ・ザ・スターズ 死者773名

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プリンセス・オブ・ザ・スターズは、1984年に日本で建造されたフェリー。2001年にフィリピンのスルピシオ・ラインに売却された。

売却後の2008年6月21日、フィリピンのマニラからセブ島への航行中、台風6号からの激しい波の中でエンジンが故障する。その後、フィリピンのシブヤン海沖合で高波を受けて転覆した。

乗員825人中、773名が死亡または行方不明となった。貨物には、有毒な殺虫剤が多量に載せられていた。そのため救助が難航し、より犠牲者が増えたとされている。

16.ロイヤル・ジョージ 死者800名以上

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1782年8月、イギリスのポーツマスに停泊していたロイヤルジョージが、浸水により転覆した。

ロイヤルジョージは、1756年の建造当時、世界最大の戦艦で、全長は50m以上あった。

この事故が起こったのは、修理中のことだった。水中にある船体部分を修復する必要があったので、下方にある砲塔甲板を移動していた。移動により船体の重心が崩れ、船が傾き出した。

そして傾いた側の砲門が開けっ放しになっていたため、そこから水が浸水してきたのである。気づいた時には既に遅く、船は水で満たされ横倒しになった。

この事故で、船に乗っていた800人以上が行方不明になっている。

15.ヴァンガード 死者804名

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様々な海戦で活躍したイギリス海軍の弩級戦艦。1908年に建造された。

1917年、7月9日の真夜中、スカパ・フローでHMSヴァンガードは爆発後、まもなく沈んだ。原因はボイラー室の炎によって、仕切りで囲われていた無煙火薬が過熱されたためではないかと言われている。

この爆発で推定804名が亡くなったとされている。乗組員は二人を残して全員が死亡した。

14.イーストランド 死者848名

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(事故直前の船、人であふれているのが分かる)

1915年7月24日、シカゴ川のふ頭に係留していた遊覧客船イーストランドが転覆した。

事故の時、船の最大収容人数2572名を超え、船の中は過密状態だった。乗り込んだ客たちは上甲板に集まっていた。そのため船は重量に耐えられず、バランスを崩して傾き始めた。

船員は船体のバランスをとるために、バラストタンクの水を調整したが、ほとんど効果は得られなかった。その後乗客たちは港に急いで戻ったが、15分後港側に転覆した。

この事故で、逃げ遅れた844人の乗客と4人の船員が命を落とした。

13.エストニア 死者852名

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エストニアは、1980年に就航したフィンランドのクルーズフェリー。

エストニアは、1994年9月27日、乗員989名を乗せ、タリン港を出港し、ストックホルムへと向かった。航路の途中、トゥルク諸島で大波に衝突し、船首付近にあるバウハイザーが脱落した。それにより、荷物の出し入れを行うランプウェイが開き、船体への浸水が始まった。

その15分後には船の傾きが30度を超え、横転した。海水の流入が素早かったため、ほとんどの乗客は救命ボートのあるデッキまで逃げられなかった。

船体から発せられた遭難信号によって、ヘリと船舶が即座にエストニアの元へと救援に向かった。

乗員137人は救助されたが、残る852人は命を落とした。この事故は、20世紀最悪の海難事故として知られることとなった。

12.エンプレス・オブ・アイルランド 死者1012名

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エンプレス・オブ・アイルランドは、カナダ~イギリス間を航行する遠洋定期船だった。

1914年5月29日、エンプレス・オブ・アイルランドはリバプールに向けて、乗員1477名を乗せ出港した。カナダのリムースキに来たところで、霧が立ち込めてきた。そこで石炭船ストールスタッドのマスト灯を確認する。

両船は警笛を鳴らし続けていたにも関わらず、ストールスタッドの船首がエンプレス・オブ・アイルランドに衝突。エンプレス・オブ・アイルランドは右のふなべりに4.3mの大きな穴を開けた。

エンプレス・オブ・アイルランドは、14分で沈没し、乗員1012名が死亡した。

11.アル・サラーム・ボッカチオ98 死者1020名

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大型フェリーのアル・サラーム・ボッカチオ98は2006年2月3日、ドバイからエジプトのサファガに向かう途中の紅海で沈没した。

原因は、悪天候とエンジンルームからの火災だと考えられている。火災によって船体に水が入り込み始めた5分後には、船は既に沈没していたという。

この事故で、1020名が命を落とし、一緒に積載されていた自動車220台も全て海の底に消えた。

10.ジェネラル・スローカム 死者1031名

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ジェネラル・スローカムは、ニューヨーク港を周回していた1300トンの蒸気遊覧船である。

1904年6月15日に、イースト川でジェネラル・スローカムに火災が起きた。出火元は不明だった。

船体中央の倉庫から出火したが、乗員の消火活動がいいかげんで、火の勢いは増すばかりだった。船長の判断が被害をさらに悪化させた。途中で川岸に接岸することなく、数km先の島に到達するまで前進し続けたのである。これは、当時木造の家が多かったニューヨーク市街へ火が及ぶのを恐れてのことだった。その前進の間に、火災は広がり、多くの乗客が川に飛び込んで溺死した。

島についた際にも、砂浜に乗り上げず、誤って岩礁に衝突したことで、犠牲者を更に増やした。

その後すぐに救助は行われたが、乗客のほとんどは死に絶え、犠牲者は1031人にも上った

9.洞爺丸 死者1155名

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洞爺丸は、青森と函館をつなぐ青函連絡船であった。

1954年9月26日、台風15号の暴風と高波で転覆・沈没し、1155名が亡くなった。同日函館湾では、洞爺丸以外にも、台風の影響で4隻の車両渡船が沈没していた。

(港へえい航された洞爺丸)
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8.タイタニック 死者1523名

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おそらく世界で最も名の知れた海難事故である。タイタニックは1912年4月14日、ニューヨークへ向け、初航海に出た。その時の乗員は、2200名を超えていた。

タイタニックは航路中、カナダのニューファンドランド島沖で、氷山に衝突。船体が2つに割れ、衝突から2時間40分後に沈没した。

乗員の半数分しかない救命ボートのために、1500名近い乗員が船から脱出できずに取り残され、命を落とした。

7.英国海軍艦隊 死者1550名

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1707年10月22日、イギリスシリー諸島沖で21隻からなる英国海軍艦隊が嵐にあい、岩礁に追い込まれた。21隻のうち、4隻が沈没。1550名の船員が命を落とし、イギリス史上最悪の海難事故として知られることとなった。

事故の主な原因は、航海士が正確な位置計算能力を持ち合わせていなかったためだとされている。嵐に巻き込まれても、既に知られている危険な岩礁域を避けさえすれば、事故には遭わなかったと言われている。

6.テク・シング 死者1600名近く 

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テク・シングは、『東のタイタニック』とも呼ばれている中国の木造帆船。

かなり巨大な船で長さは50m、幅10m。帆の高さは当時(1822年)としては最も高く27mあった。

テク・シングは1822年2月6日、中国の廈門市からジャカルタに、1600名の中国移民を乗せて向かっていた。

出航から1ヶ月後、船長はカリマタ海峡を通って近道することにした。その近道が災いをもたらした。近道の途中で、岩礁に衝突してしまったのである。

この衝突で、テク・シングは海底30m下に沈み、1600人近くの命が失われた。

5.サルタナ 死者1800人

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サルタナは、アメリカのミシシッピ川に就航していた客船である。

1865年4月27日、サルタナは定員376名のところを、2500名と大量の貨物を乗せて出港した。定員の7倍もの人を乗せていた訳であるが、この頃は南北戦争の最中で、安全基準はほとんど意味をなしていなかった。それに加え、事故以前からボイラーに故障が発生していた。

寄港地から出港して10kmほど進んだところで、突然第3ボイラーが爆発した。これにより、過密状態の船内は大混乱におちいった。

多くの者が炎に巻かれて焼死したり、川に飛び込んで溺死したりした。死者は1800人以上に上った。

4.ジョラ号 死者2000近く

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セネガル政府所有のフェリーである。首都ダカールからセネガル南部のジガンショールを結んでいた。

2002年9月26日、ジョラ号は2443名を乗せて、ジガンショールからダカールに向けて出航した。ジョラ号はガンビアの海岸で、嵐に巻き込まれ沈没した。

乗員の多くは、大波と強風で貨物ごと海に投げ出された。政府からの救援は翌日になってからとお粗末だった。助かったのはたった64名だけで、2000名以上の犠牲者が出た。

3.モンブラン 死者2000人以上

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1917年12月6日、カナダのハリファックス港で軍用火薬を積んだフランスの貨物船モンブランとノルウェーの貨物船イモが衝突した。

モンブランの船上にあったドラム缶入りのベンゾールに着火し、それが船倉のトリニトロトルエンなど約2,600トンの火薬類に燃えうつった。モンブランの船員はボートでハリファックスの対岸に逃げたが、火災を起こした無人の船はその後ハリファックスの波止場に流れつき、約25分後に大爆発した。

そして集まった消火隊、見物人など約2,000人が死亡、約9,000人が負傷し、市の大半は廃墟になった。この事故は、火薬によるものとしては世界最大級の爆発事故である。

【爆発前のハリファックス(上)と爆発後のハリファックス(下)】
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2.江亜 死者2750~3920名

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江亜は1939年に建造された中国の旅客蒸気船であり、中国最大の海難事故を起こした。

1948年12月4日、中国の上海市から寧波市に向けて出港した江亜は、黄浦江河口外で沈没した。

原因は大日本帝国海軍が設置した機雷であった。船体が機雷に接触し、船尾が破壊され沈没したのである。

事故当時、定員は1186人であったが、乗客名簿には2150名、それ以外にも多くの密航者が乗り合わせていたとされている。

この事故で2750人~3920人が死亡した。700人が他の船に拾われて、救出された。

1.ドニャ・パス号 死者4341名

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史上最大の海難事故を起こした貨客船として知られている。

ドニャ・パス号は、日本のひめゆり丸(定員608名)を重改造して作られた。改造は、ドニャ・パス号を転売で入手したフィリピンの船会社が行い、定員は3倍以上に増やされていた。

1987年、ドニャ・パス号はレイテ島からマニラへ向かう途中、ビクトル号と衝突して爆発を起こし火災となった。そしてビクトル号から漏れ出したガソリンが海上を炎の海へと変えた。

沈没していく船から飛び降りた人々は、地獄のような炎に巻き込まれ死亡した。乗員のうち助かったのはたった24名のみで、犠牲者は4341名に上った。

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