最も人肉を食べた動物(ランキング)

人を襲って食らったとされる動物を、死傷者数から順位付けして9位から順にご紹介していきます。

9位.ガンマラパーのインドヒョウ 42人

(↓実物の写真が存在しないため、インドヒョウのイメージ)

(via wikimedia)

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インド南部のガンマラパー村で42人を襲ったとされるインドヒョウです。夜行性のインドヒョウは日没とともに人を襲っていました。それゆえ村人たちはヒョウの襲撃を恐れて夜の外出を控えるようになり、家屋のドア前にバリケードを作って過ごすようになりました。

しかし、人肉の味を覚えてしまったヒョウは、ふきわらの壁や屋根を破壊してまで家屋に侵入してくるようになったのです。あるときには、家の中にいた4人全員を殺害することもあったと言われています。

このヒョウが人食いになった原因は、おそらく森に放棄されたコレラ患者の死体を食べたためだと考えられています。

最終的にイギリス人のハンターであるケネス・アンダーソンがこのヒョウの射殺に成功しています。

8位.チャウガーのトラ 64人

(via HubPages)

チャウガーのトラは、人肉を食らった二頭のベンガルトラです。その2頭はおそらく親子であり、老齢な個体とまだ成長しきっていない若い個体でした。

このトラたちは、1925年から5年間に渡ってインド北部・クマーウーン地区で64人を殺したとされています。最初の人間への襲撃は、老齢のトラ一頭だけでした。しかしその後しばらくして若い個体も一緒に人を襲うようになったと言います。

トラは一つの場所で狩りを行わず、毎回異なる場所で人を襲っていたため、なかなか捕まえることが出来ませんでした。また真夜中に現れるトラに、生き餌としてヤギやスイギュウを木にくくりつけておびき寄せるワナを張っていましたが、いずれも効果はありませんでした。人肉の味を覚えたトラは、動物よりも人間を好んで襲うようになっていたのです。

その後1930年4月11日に、高名なハンターであるジム・コルベットが、この2頭の射殺に成功しています。コルベットは、2人の男性からの目撃情報を受けてその場所へ向かったところ、偶然にもこの2頭のトラに出くわすことができたのです。

7位.ジェヴォーダンの獣 113人

(↓ジェヴォーダンの獣の絵画)

(via wikimedia)

最も悪名高く、そして人食い動物の中で最も謎に包まれているのがジェヴォーダンの獣です。この獣は1764~1767年のフランス・ジェヴォーダン地区を恐怖のどん底に陥れました。

獣の正体は、並外れて大きなオオカミだと言われてますが、赤みがかった体色と耐え難い悪臭を放ち、通常のオオカミよりも歯が非常に大きいという特徴を備えていました。

(↓獣のカラーイメージ)

(via ShukerNature)

この生物が最初に人を襲ったのは1764年の6月で、その犠牲者は少女でした。それ以降3年間に渡って210回の襲撃が行われており、死者は113人。そのうち98人が食べられていたことが分かっています。

その襲撃が非常に残忍だったことから、神が人を罰するために作った悪魔であるとか、オオカミ男であるなどと信じる人もいました。

獣は単なる大きなオオカミだとするのが当時の一般的な考えでしたが、フランスにいるヨーロッパオオカミとの類似点はかなり少なかったのです。

そのため専門家の一部は、サーカスや動物園から逃げ出したハイエナではないかと主張しています。ハイエナは一見腐肉あさりだけをする臆病な動物だと思われていますが、実際は強力な捕食者であり、アフリカやアジアでは人を襲うこともあります。また、ハイエナは大きな歯と強い悪臭、そしてオオカミよりも大きいという、獣の特徴と類似点が多かったのです。

(↓ハイエナ、オオカミよりも大きい)

(via aaaaahhhhshark)

この獣はハンターや軍からうまく逃れて、人食い動物として伝説な地位にまで上り詰めましたが、1767年に地元の猟師であるジョーン・シャステルにより射殺されています。

6位.ルドラプラヤッグのヒョウ 125人+

(↓射殺後のルドラプラヤッグのヒョウとハンターのジム・コルベット)

(via wikimedia)

インド北部のルドラプラヤッグ周辺で、少なくとも125人を襲ったとされるオスのヒョウです。最初のヒョウの犠牲者は1918年にインドのベンジ村で発生しました。それから8年もの間ヒョウは人を襲い続けたため、近隣に住む人々は夜に外出することや、ヒョウが縄張りとする周囲の道路を通らなくなったと言います。

しかし、人肉の味を覚えたヒョウは、人家をうろつくようになり、小屋のドア破壊したり、窓をジャンプしたり、土壁を掘ったりして家に侵入して来るようになったのです。ヒョウは獲物を見つけると、家から引きずり出して安全な場所に移動してから、むさぼり食ったと言われています。

被害が続出したことから、ネパールのグルカ兵や英兵が捕獲のために送り込まれています。軍は毒エサなど様々な罠をしかけていましたが、いずれの作戦も失敗に終わっています。

そこで1925年にイギリスが懸賞金を出し、高名な狩猟家であるジム・コルベットに依頼しました。最終的に彼は、依頼から10週間後の1926年5月2日にヒョウの射殺に成功しました。

どうして人喰いになったのか

それは、ルドラプラヤッグ周辺で伝染病が蔓延し、大量の死体が埋葬されることなく放置されていたからだと考えられています。

一度人肉を食べたヒョウはその味を覚えます。しかし、伝染病の蔓延が終えんをむかえ、死体がなくなり始めると、ヒョウは人肉を得られなくなってしまいます。エサを得るために、今度は死体ではなく生きた人間を襲うようになったのです。

5位.ツァボの人食いライオン 135人

(↓2頭で人間狩りをしていたツァボのライオン)

(via wikimedia)

1898年、イギリスが植民地としていたケニアのツァボ川で鉄橋が建設され始めました。建設途中に、不運な鉄道作業員らが、二頭の人食いライオンのターゲットになったのです。

二頭の兄弟は非常に大きく、全長は3mを超え、ツァボ地域に特有のたてがみがないオスのライオンでした。

彼らは最初に夜中にテントで寝ていた男性を襲いました。テントから引きずり出して茂みまで連れていき、そこで食べたのです。ライオンは襲撃を繰り返すたびに大胆になり、テントにいる人を見つけては、隠れることなくその場で新鮮な肉をむさぼるようになったと言います。

彼らの大きさ、どう猛さ、狡猾さがずば抜けていることから、多くの地元民は単なるライオンではなく、悪魔かあるいは、イギリスの侵入者たちを撃退するために古代の王が輪廻転生したのではないかと考えるようになりました。

鉄道作業員はライオンたちに恐れをなし、数百人以上がツァボ地域から逃げ出しました。作業員が確保できなくなったことで、鉄道建設は停止されることになりました。誰も次の犠牲者にはなりたくなかったのです。

最終的に鉄道建設プロジェクトの主任を任されていたジョン・ヘンリー・パターソンが、建設を再開するには人食いライオンを殺すしか無いという結論にいたり、自らの手で射殺することを決意しました。

彼はライオンに危うく殺されかけたものの、最初の被害から11年後の1989年の12月に一頭を射殺することに成功しました。その2週間後にもう一頭もなんとか仕留めることができました。

(↓射殺された1頭目のライオン)

(via wikimedia)

(↓2頭目のライオン)

(via wikimedia)

しかしこのときには犠牲者が140人近くにまで達していたのです。またパターソンは、彼らの巣穴を見つけています。その穴の中には、犠牲者の衣服や装飾品が残されており、それと一緒に大量の人間の骨も見つかっています。

4位.中央州のインドヒョウ 150人

(↓実物の写真がないため、インドヒョウのイメージ)

(via wikimedia)

20世紀初頭に英領インドの中央州で、数年間に渡って150人を襲ったとされるインドヒョウです。女性と子どもだけを襲うという狡猾な殺害方法から、悪魔のようにずる賢いヒョウと言われていました。

ヒョウは2~3日おきに1人を殺し、次に襲う際には必ず違う場所で、時には40~50㎞離れた場所で人を襲っていたのです。ヒョウの襲撃は地元民をパニックにし、多くの人が銃火器なしでの外出や1人だけでの外出をしなくなりました。

多くのハンターが射殺を試みましたが、ほとんどが何の成果もなく失敗に終わっています。たとえ目撃できたとしても、ヒョウは夜行性であるため暗闇の中で仕留めるのは、すばしっこいこともあってかなり難しく、ハンターによる狩猟は結局成功することはありませんでした。

これほど狡猾だったヒョウですが、最後はヤギ牧場を襲った際に、牧場主に銃で打たれてあっけなく死んでいます。

3位.ギュスターブ 300人+

(via listverse)

有名な人食い動物で、現在唯一生きているのがギュスターブです。紛争がたびたび起きているブルンジに生息するオスのナイルワニで、全長は6m、体重は1トンに達するとされています。

(↓2008年にルジジ川で撮影されたギュスターヴ)

(via wikimedia)

ギュスターヴは、現存する最大のナイルワニであり、アフリカ大陸で最も人を食ったとされる捕食者です。ギュスターヴの捕獲に数年間以上取り組み続けているフランス人動物学者のパトリック・フェイによれば、犠牲者は300人以上で、現在もおそわれている人がいると主張しています。

地元民は、ギュスターヴがエサのためだけでなく、娯楽目的で人を殺していると言います。ギュスターヴは数人を殺すと、数ヶ月あるいは数年に渡って消息を絶ち、また違う場所で人を殺し始めるのです。ギュスターヴがいつ、どこに現れるかは誰も予想できません。

またギュスターヴは恐ろしいほどの食欲があると言われ、アフリカで最も危険な陸生動物とされるオスのカバをむさぼり食う姿が目撃されています。

ギュスターヴの体には、ナイフや矢、銃弾など数え切れないほどの傷跡が残されています。頭のてっぺんには黒いシミとなった弾痕もあります。世界中のハンターが彼を殺そうと試みていますが、誰もそれを実現できていません。

ギュスターヴはとても賢く、ワナをかけたとしても、まるで理解しているかのようにその側を横切るだけだと言います。推定60歳のギュスターヴは、これまでにかなりの経験を積んでおり、これからも人間の包囲網をくぐり抜け、その殺戮行為を続けるのではないかと恐れられています。

2位.パナールのヒョウ 400人

(↓射殺されたパナールのヒョウ)

(via wikimedia)

20世紀初頭のインド北部・パナールで、およそ400人を襲ったとされるオスのヒョウです。

ヒョウを捕まえられる人が被害地域にはいなかったため、多くの犠牲者が数年間に渡って出続けたとされています。その後1910年に、狩猟で名をはせていたジム・コルベットが遠来し、射殺に成功しています。

ジムは2度、このトラと遭遇していますが、1度目は傷を追わせただけで逃げられてしまいました。そして2度目は、傷を負ったトラを真夜中に発見し、仕留めることに成功しました。

1位.チャンパワトのトラ 436人

(↓人食いトラと狩猟者のジム・コルベット)

(via Muka Internet)

19世紀のネパールとその近隣のインド・クマーウーン地区に住む人々を襲ったメスのトラで、総死者数は436人に上るとされています。

最初のトラの被害は、ヒマラヤ山脈に近いネパールで起こりました。トラは、ジャングルに入ってきた人たちを待ち伏せし襲ったのです。それから数十人と犠牲者が増え続けたことで、ハンターが送り込まれることになりました。しかし一向に成果が上がらないまま、トラの餌食になる人だけが増えていったのです。

最終的にネパール軍がトラの住むジャングルに投入されました。捕獲することはできなかったものの、トラを縄張りの外に追い出し、国境外のインドまで追いやることができました。

縄張りを追い出されたトラは、インド・クマーウーン地区で、またもや人を襲うようになりました。トラの襲撃方法は、今までと比べてずっと大胆なものとなり、真っ昼間から獲物を求めて村をうろつくようになったのです。

パニックに陥った村人は、森の中からトラのうなり声が聞こえると、仕事をほっぽりだして小屋の中にこもったといいます。

それから数年後の1907年に、英印軍の大佐であり、狩猟家でもあったジム・コルベットがトラを仕留めることに成功しました。射殺前に、トラは16歳の少女をインドのチャンパワトで食べており、襲撃現場には少女の血痕と脚部だけが残されていました。

ジムがその血痕を追跡して、トラの隠れている場所を発見したのです。そして少女が死んだ翌日に人食いトラは射殺されました。

死者数のデータは以下を参考に作成:wikipedia

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コメント5
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コメント

  • Comments ( 5 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. By 匿名

    ジム・コルベット凄すぎる

  2. By 匿名

    9位のヒョウの説明文にこのトラってはいってるよ

    • By uti

      ご指摘ありがとうございます。修正させていただきました。

  3. By 匿名

    トラとヒョウがごちゃごちゃ…文章読み返した方が良いかも

    • By uti

      ありがとうございます。修正させていただきました。

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