今にも息を吹き返しそうな驚くべきミイラ・7体

2018年5月25日

ウラジーミル・レーニン

(via Al Arabiya)

ソビエト連邦の最初の指導者であり、近代ロシアの父と呼ばれるウラジーミル・レーニン(1870~1924年)は、脳梗塞による死去後、神格化のためにミイラ化された。

(via Firenews)

遺体は後世に渡り、長期間劣化させずに保存しておけるよう、彼のためだけに新しい処理方法が開発された。具体的には臓器を摘出し、バルサム液という防腐剤に浸して処理されているという。

(via atlasobscura)

ソビエトがまだ存在していた頃、レーニンのスーツは1年ごとに着せ替えられていた。だが崩壊後は5年毎に変わった。現在はモスクワのレーニン廟に永久保存されている。

2.ラ・ドンセーヤ

(via wikipedia)

今から500年以上前、15歳の少女ラ・ドンセーヤと二人の子どもがインカ人による宗教儀式の生けにえとなり、ユーヤイヤコ山頂(6723 m)で凍り付かされ遺棄された。

3人のうち、上記写真のラ・ドンセーヤが一番の年上で、15歳前後であった。彼女の頭髪は丹念に編み込まれ、頭に羽飾りをかぶっていた。

彼女はその服装から太陽の処女とされており、10歳頃に太陽神の生け贄として選ばれ、王家の妻や尼僧と一緒に暮らしていたようだ。

【一緒に見つかったラニーナ・デルラヨ】

(via tripadvisor)

もう一人の少女はラ・ドンセーヤの妹であり、ラニーナ・デルラヨと言った。生け贄になったのは6歳の頃だったとされる。厚い羊毛の毛布にくるまれ、インカ伝統のアクス(acsu )という薄茶色の服を身に付けていた。

死後、雷が数回直撃したため、耳や肩に焼け跡が残っていた。また頭蓋骨は意図的に伸ばされ、何らかの改造を受けていたとされる。

【唯一の男児、エルニノ】

(via purakastiga)

エルニノは7歳前後の少年だった。衣服は血液が混じった吐しゃ物で汚れ、三人の中で唯一縛り上げられていた。死因は凍死ではなく、窒息死であり、縛り上げられたことが原因か、あるいは肺水腫の可能性もあるという。

三人とも生け贄に捧げられる前、コカインで知られるコカの葉とアンデス地方の酒・チチャを飲ませられ、酩酊状態になっていたとされる。

3.ロザリア・ロンバルド

(via wikipedia)

シチリア島のカプチン修道会にある地下墓地深くには、1歳11ヶ月で亡くなった少女のミイラが収められている。

彼女が1920年に肺炎で命を落としたとき、父親は悲嘆に暮れ、娘の体を永遠に失わずにすむよう、イタリア人の有名な遺体整復師に処置を頼んだ。

(via DVDaddict )

遺体整復師の技術は確かなものだった。現在100年近く経つにも関わらず、まるで生きているような姿を保っている。その神秘的な姿から「眠れる美女」や「世界一美しい少女のミイラ」と呼ばれることがある。

4.辛追

(via wikipedia)

辛追(紀元前213~紀元前163年)は、中国・漢時代に長沙国を治めていた政治家の妻である。彼女は死後2000年以上経ってから長沙市の巨大墳墓でミイラ化した遺体が発見され、一躍有名となった。

彼女の遺体は発掘時、80リットルの液体に満たされた棺内につかっており、その保存状態は完璧で、まるで生きているようだったという。

【辛追の復元モデル】

(via wikimedia)

脳を含めて、遺体の内臓はほとんど損なわれておらず、皮ふはやわらかく弾力があり、四肢は曲げられるほどだった。髪の毛は引っ張っても抜けず、光沢もあった。

検死の結果、彼女の生活や抱えていた持病などが明らかになった。

亡くなったのは50歳のときで、身長は154.5cm、体重は34.3kg。 食べ物に恵まれ、食事に困ることは無かったが、座りがちな生活のために動脈硬化症や心臓病にかかり、重度の腰痛持ちであったとされる。

【まくれ上がったくちびる、舌が口から飛び出している】

(via alchetron)

また胆石や寄生虫の感染も彼女を苦しめていたようだ。直接の死因は心臓発作であるとされ、胃腸内にメロンのタネが大量に見つかったことから、食後2~3時間以内に亡くなったと推定されている。

5.エバ・ペロン

(via owlcation)

エバ・ペロンが1952年に子宮癌で亡くなったとき、彼女はアルゼンチンで最も愛された女性だった。父に認知されない私生児として生まれながらもアルゼンチンのフアン・ペロン大統領と結婚して国政へ介入し、多くの労働者階級から支持を得た。

【生前のエバ・ペロン】

(via wikipedia)

遺体の防腐処理は著名な解剖学者ペドロ・アラによって1年をかけ行われた。彼の防腐技術はすばらしく、彼が手にかけた遺体は死のアートと呼ばれている。

(via wikipedia)

彼女の遺体は、軍事クーデターが起こるまで公に展示されていたが、クーデター後の新政府によってイタリアのミラノに16年もの間隠されていた。その後はスペインに空輸され、1976年にはアルゼンチンに返還された。

6.ベルナデッタ・スビルー

(via SlidePlayer)

聖母マリアの出現を体験したフランスの聖女である。彼女が見つけたルルドの泉は、不治の病を治す効果があるとされ、現在でも毎年600万人以上が訪れるカトリック教会最大の巡礼地となっている。

【生前のベルナデッタ】

(via wikipedia)

彼女は1879年、35歳のときに肺結核で亡くなった。埋葬されたものの、30年経った後に掘り起こされた遺体は不思議なことに腐敗していなかった。

その後何度も掘り返され一部は損傷が進んだものの、最終的には防腐処理が施され、礼拝堂の聖骨箱に安置されることになった。

(via melissahardy)

7.ダシ=ドルジョ・イチゲロフ

(via ancients-bg)

ロシアの高名なラマ僧であり、1927年に亡くなるまで50冊以上の薬学書を記し、ヨーロッパ発の仏教寺院の建立、ロシア兵の看護や治療などで、二つの勲章を授与されている。

【生前のダシ=ドルジョ】

(via wikimedia)

彼は遺言を残し、死んだ後に座禅を組んだ状態での埋葬と数年後の遺体の掘り起こしを望んだ。その願いは叶えられ、1955と1973年に仏教僧が彼の遺体を掘り起こした。

(via Clipmass)

そのときに腐敗がほとんど進んでおらず、ミイラ化していることが明らかになったのだった。現在はロシア・ブリヤート共和国の仏教寺院に収められている。

+α.トーロンマン(死蝋)

(via wikimedia)

トーロンマンはミイラと似ているが、死蝋というロウ状になった遺体であり、デンマークの泥炭地で見つかったものだ。紀元前4世紀後ごろの鉄器時代に亡くなった男性であり、生け贄の犠牲者であったと考えられている。

(via ancient-origins)

首の周りには縄が結びつき、舌が膨れ上がっていたことから、吊るし首で死んだとされる。

男性は40歳前後、身長は161cmで、検死によって胃の中には、オートミールのおかゆや様々な種子が発見され、最後の食事から1日近く生きていたことが判明している。

残念ながら1950年に発見された当時、全身を保存できるほどの技術は未熟だったため、上記写真を含め現在展示されているものは、頭部以外がレプリカである。

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Posted by uti