やりたくない。昔のヤバイ美のトレンド・8種

2018年9月21日

1.足を小さくする纏足(てんそく)

【てん足を受けた少女】

(via Wikipedia)

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中国の宋の時代(960~1279年)から、1912年に公式に禁止されるまで行われていた風習である。当時、小さい足の女性は美しく魅力的であり、てん足を「金の蓮」と呼ぶことがあったほどである。

【上から見たてん足】

(via wikipedia)

てん足は幼児期から足に布を巻かせて強くしばり、足を変形させる。親指以外は強制的に内側へ曲げられるため、時には激しい痛みにさいなまれることもある。だがしばり直す時以外、ほどかれることはなかった。こうした苦痛を数年乗り越えて、足の変形が完成し、10cmほどのサイズで成長が止まる。

【てん足用の靴】

(via wikipedia)

てん足になった女性は、普通の靴を履くことができなかったため、専用の靴が用意された。だが足の小ささと変形のため、歩き方はぎこちなく、走ることはもちろん日常生活にも困難をきたした。

2.首長族

(via Wikipedia)

ミャンマーに暮らすカヤン族は首長族と呼ばれ、女性が長い首に金色の真ちゅうリングをまとうことで知られている。この慣習が始まったのは今から1000年近く前にさかのぼり、今日でも無くなっていない。現在、首長族のいる村は観光地化しており、外国人から得る入村料は、村の重要な収入源となっている。

(via Kayan women)

リングは5歳頃から付け始め、年を重ねるごとに増やしていく。最終的に一人の女性が装着するリングの重さは、合計で11.5kgになるという。

通説では、このリングが首を伸長しているかのように思われているが、実際に首が伸びている訳ではない。リングの圧力で鎖骨が押し下げられ、肩の位置が下がることで極度のナデ肩になっているのだ。

3.お歯黒

(via Wikimedia)

現在では時代劇や歌舞伎ぐらいでしか見ることは無くなったが、江戸時代に既婚女性が歯を黒く染めることは一般的だった。お歯黒は歯を目立た無くし、顔を柔和に見せる。そして独特の色っぽさと美しさが見出されると、当時の人は思っていた。

また、当時は歯科衛生が十分に進歩していなかったため、歯並びの悪さや変色、悪臭や虫歯を隠すのに役立っていた。

【お歯黒をする様子】

(via Wikipedia)

お歯黒をするときに使う液体は、臭くて苦い。酢(酢酸)に鉄を入れ、それがサビて真っ黒になったものを使っていたのだ。この液体を塗った後、ヌルデの葉から作った粉を上塗りする。これを繰り返して、お歯黒はできる。

4.ホブルスカート

(via wikimedia )

ホブルスカートは、アメリカで1908~1914年の短期間だけ流行していた窮屈なスソのスカート。あまりに窮屈なため、着用すると歩幅が狭くなり、とても歩きづらくなる。そのためスピードリミット・スカート(速度制限スカート)とも呼ばれていた。

普通に歩くとスカートが破れてしまうことがあるため、組ひもで出来た足かせをはめて、足の動きを制限するようにしていた人もいた。

5. クラコウ

(via wikipedia )

つま先の長いシューズで、15世紀頃にヨーロッパで流行した。つま先の形を保つために、馬の毛やコケが入っていた。当時はとても人気だったが、多くの批判もあった。そのためフランスでは1368年にシャルル5世が着用を禁止する御触れを出し、続いてイギリスでも禁止された。

6.男性のコルセット

(via wikimedia)

ウェストのラインを細く見せるコルセットは、14世紀頃から女性の間で着用され始めた。それが男性にも流行しだしたのは18世紀頃で、当時は女性と同様に男性でも細いウェストが好ましいとされたのだ。

7.カツラのスタイリングにラード

(via wikimedia )

1700年代後半にヨーロッパでカツラが大流行していたとき、牛脂やクマの脂をつけてカツラの髪の状態を調整していた。現在のワックスのようなものだ。しかしカツラを洗うことはめったに無かったため、脂を好むシラミやノミがカツラにたかっていた。

また夜になってカツラを外すと、ネズミが脂を食べに来ることがあったため、睡眠中に保管しておく専用ケージが開発された。

8.クリノリン

(via wikimedia )

スカートをふくらませるための下着で、鯨ひげや針金を輪っかにし重ねて作っている。1850年頃にフランスでこのクリノリンが発明されるまで、スカートのシルエットを作るには何枚も重ね着が必要だったので、その装着の容易さから爆発的に普及した。

しかし動くたびにクリノリンが引っかかって転倒したり、暖炉の火がスカートに引火して火傷したりする事故が多発するようになった。一説では最も流行した時期に、年間3000人がクリノリンによる事故で死亡し、2万人がケガを負ったといわれている。

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