頭が真っ白になるほど衝撃的だった写真・2種(物語)

(via matatube)

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この写真は、ジュリア・パストラナ。 優しい心を持った若いメキシコ人女性だが、”最も醜い顔 “と呼ばれていた。

ジュリアは1834年にメキシコの山間部で生まれ、赤ん坊のころから全身が黒い直毛で覆われていた。耳と鼻は異常に大きく、歯は不規則だった。

周りは誰もジュリアを受け入れようとせず、怪物のような存在として扱った。ある日、ジュリアはその環境に耐えられず、家出した。

迷える魂の旅をしているうちに、サーカスで働く男性と出会い、そのサーカスでジュリアは仕事に就くことが出来た。

そしてジュリアは、お金を払ってでも見たいと思われる 「見世物」になった。

(via wikimedia)

ジュリアにとっては非常に苦痛な仕事だったが、衣食住を確保するためには、その仕事を受け入れざる得なかった。

そのショーはジュリアに多額の金を与え、多くの人に名が知られることになった。しかしそのお金に目をつけられ、ジュリアのマネージャーであるセオドア・レントと結婚することになった。

当時、新聞で報道されたもっとも有名な結婚であった。普通の男が、身長135cmの怪物と結婚できるわけがないと言われていた。

【夫のセオドア・レントとジュリア・パストラナ】

(via wikimedia)

不思議なことに、二人の赤ちゃんは健常児であったという。だがジュリアは出産から48時間後に、赤ちゃんと一緒に亡くなった。

ジュリアの不幸は、その死だけでは終わらなかった。強欲な夫はその遺体をミイラにして、半猿半人の “怪物 “として再び見世物にし、ヨーロッパ中を回って金儲けしたのだ。

以下の写真は、ミイラ化された彼女の姿である。

(via baomoi)

ジュリアの遺体は何度も盗まれ、2005年になってノルウェーのゴミ箱で発見された。ついに150年の時を経て、ジュリアはまともな葬儀を受け、人間のように埋葬された。

死んだ弟を火葬場に連れてきた日本人の少年(1945年)

(via rarehistoricalphotos)

この写真は、原爆投下後に米海兵隊の写真家ジョー・オドネル氏が長崎で撮影したものである。

ジョー氏は1945年9月からの7ヶ月間、西日本各地を旅し、死者、負傷者、ホームレス、孤児などの被災者の苦境を記録した。ネガにも心にも、人間の苦しみのイメージが刻み込まれていた。

ジョー氏はそこで想像を遥かに超える現場を目撃し、晩年はその体験が原因でうつ病を患ったという。ジョー氏の息子によると、上記の写真は他のどの写真よりも彼に影響を与えたそうだ。

撮影から数年後、ジョー・オドネル氏は日本のインタビュアーに、この写真について話した。

「10歳くらいの男の子が赤ちゃんを背負って歩いていました。当時の日本では、弟や妹を背負って遊んでいる子供をよく見かけましたが、この子は明らかに違いました。私には、この子がこの場所に来た理由がよくわかりました。靴を履いていない。顔はとても厳しい表情だった。背中に抱えられた小さな赤ん坊の頭は、まるで眠っているかのように後ろに傾いていた。少年は5分か10分そこに立っていました」

「白いマスクをした男たちは、彼のところに歩み寄り、静かに赤ちゃんを抱えていたヒモを外し始めました。その時、赤ん坊はすでに死んでいることがわかりました。男たちは手足で赤ちゃんの体を押さえ、火の上に置いた。少年は動かずにまっすぐ立って炎を見ていました。少年は下唇が血で光るほど強く噛んでいた。炎は太陽が沈むように低く燃えていた。少年は背を向けて、静かに歩き去っていった」

Via:quora,quora

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Posted by uti