みんながすごく知能が高いと思った犯罪者

海外のサイトで「かなり知能が高いと思った犯罪者は誰?」という質問に対して、多くの人にシェアされた回答を2つご紹介していこう。

1.


2011年6月9日、ジェームズ・ヴェローネはノースカロライナ州ガストン郡の自宅を出て、近くの銀行に向かった。そして銀行員にこう書いてあるメモを渡した。

「私は銀行強盗です。1ドル(約100円)ください」

ジェームズはこのメモを渡した後、警察が来るまで銀行で座って待っていた。

彼はこの事件を起こす前、地元紙のガストンガゼットに、ガストン郡刑務所の住所が記載された手紙を送っていた。

その手紙には「あなたがこれを受け取ったとき、私は銀行強盗を犯していることになります」「この強盗はたった1ドルのために行いました」「私は健全な精神を持っているが、健全な身体は持っていない」と書いてあった。

彼はその後、ガストン・ガゼット紙にインタビューに応じ、刑務所で逮捕された。しかし1ドルで強盗罪とするには金額が少なすぎたため、窃盗罪で服役することになった。

なぜジェームズはこのような犯罪をしたのだろうか。それは彼へのインタビューで判明した。

彼はコカコーラの配達員だったが、20年ほど勤めていた仕事を失い、それに伴って健康保険も失ってしまった。その後体調が急激に悪化し、胸に腫瘍が出来て、関節炎、足の痛みにも苦しんでいた。

彼は必要な助けを得て、人生をより良くする唯一の方法は、刑務所に行くしかないと考えたのだ。刑務所なら、お金がなくても無料で医師に見てもらえるからだ。

2. IQ200の殺人犯たち

上の写真は27歳のネイサン・レオポルド、10代の少年を殺した2人組の一人である。

1904年の冬に生まれたネイサンは、生後4ヶ月で初めて言葉をしゃべった神童だった。若くして5つの言語をマスターし、19歳の時にはアメリカの学業栄誉の頂点であるファイ・ベータ・カッパ賞をもらってシカゴ大学を卒業した。

ネイサンは、共犯のリチャード・ローブと近くに住んでいたこともあって、子供の頃から仲良くしていた。そしてリチャードも、ネイサンと同じく神童だった。

【リチャード(左)とネイサン(右)】

リチャードは、飛び級をして14歳でネイサンと同じシカゴ大学に入学し、その後ミシガン大学に編入、17歳で当時最年少の卒業生となった。

だが二人が間違った方向に進み出したのは、ニーチェの『超人思想』がきっかけにあった。

彼らはその思想に酔いしれるようになり、自らを超人だと信じ込み、あらゆる規範を超越し、人間を支配する通常の倫理や法律に縛られないと考えるようにまでなった。

ネイサンはリチャードへの手紙の中で以下のように書いていた。

『超人…内在する優れた資質のため、人間を支配する通常の法律から除外される。超人は何をしても責任を負うことがない』

二人は、自らの哲学的理論を実践するため、最初は窃盗や破壊行為など軽犯罪を繰り返した。その成功に刺激を受けて、放火を含むより深刻な犯罪へとレベルを上げていった。

しかし、それだけでは十分ではなかった。マスコミはこれらの犯罪に注目しなかったため、彼らの貪欲な承認欲求は満たされなかった。

ネイサンが19歳、リチャードは18歳になったときに、人類の大罪の一つである殺人を犯すことを決意した。彼らはこの殺人が世間の注目を集めることを知っており、「完全犯罪」を完遂することで自分たちの気概を証明できると信じた。

そして7ヶ月間、完全犯罪を確実に成功させるため、細部に至るまで綿密に計画を練った。

彼らは犯罪の真の動機を分からなくするため、身代金を設定することにした。そして極めて具体的で、精巧な手順の書かれた身代金を要求する手紙が出来上がった。あとは誰を被害者にするかを決めるだけだった。

【細かく手順が書かれた身代金の手紙】

【犠牲者に選ばれた14歳のボビー・フランクス】

ボビーは二人の知り合いで リチャードのことは特に知っていた。リチャードはハトコで隣人であり、自宅の庭で何度もテニスをしたことがあるほどだった。

運命の日、二人はボビーをレンタカーに誘い込み、たがねでボビーの頭を数回殴って殺した。そしてシカゴから南に40km離れたあらかじめ決めていた投棄場に運び、遺体の服を剥ぎ取って、身元特定が困難になるよう顔と性器を酸で焼いて捨てた。

二人がシカゴに戻った時には、すでにボビーが行方不明になっているという情報が広まっていた。ネイサンはボビーの母親に電話をかけ、「ジョージ・ジョンソン」と名乗り、ボビーが誘拐されたことを伝えた。

そして身代金のメモを郵送し、血まみれの服を燃やし、車の内装についた血痕をできる限りきれいにした後、一晩中トランプをして過ごした。

しかしここで大きな誤算があった。身代金が払われる前に遺体が発見されてしまったのだ。警察は、これが単なる身代金目的の誘拐ではないことを直ちに察知した。もしそうであったら、ボビーを殺す理由はなかったからだ。

その後、二人は犯罪につながる証拠をすべて破棄し、普通の生活を送っていた。リチャードはこの間大人しくしていたが、ネイサンは傲慢さに酔いしれ、記者や刑事に対して自由に話していた。ある刑事にはこんなことまで言っていた。

「私が誰かを殺すとしたら、それはボビー・フランクスのような生意気なクソ野郎だ」と。

しかし彼らの牙城が崩れ始めたのは、ボビーの遺体近くで眼鏡が発見された時からだった。フレームもレンズも普通のものだったが、ヒンジがかなり珍しいものだった。シカゴで購入したのは3人だけで、ネイサンはそのうちの一人だった。

ネイサンはそのことについて質問を受けたが、事件前の週末にバードウォッチングをした後に落としてしまったと言い訳し、取り繕った。

しかし決定打となる証拠が見つかった。身代金を要求する手紙はタイプライターで打ってあったのだが、調べると、それはネイサンが法学部のゼミで共用しているタイプライターと同一であることが判明したのだ。

警察が取調べを重ねるうちに2人のアリバイは崩れ、ついに2人とも自供した。事件の大部分について供述は任意になされたものではあったが、殺害の実行については2人とも相手に罪をなすりつけ合った。

そして二人は殺人罪と誘拐罪で起訴され、殺人罪に対して終身刑、誘拐罪に対して99年の懲役刑を受けた。

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雑学

Posted by uti