人を殺してしまった本人たちの告白・8つ
自己防衛や事故などで人を殺してしまった張本人、あるいは家族が語った告白をご紹介していこう。
私は当時13歳で、妹と二人で家にいたのですが、裏口のガラスが割れる音がして、次にドアノブがガタガタとなり、ドアがキーキーと音を立てました。
私は妹を連れて、父の書斎に駆け込みました。私は父のライフル銃を棚から取り出し、妹に机の下に隠れるように言いました。
私は妹の前に立ち、銃を廊下に向けました。足音が聞こえてきて、見覚えのない男が角を曲がってこっちに向かって来ました。引き金を引いた後のことは、今でもよく覚えていません。
どうやら私はマガジンが空になるまで撃ち続け、侵入者に22回も命中させたようです。この男は、麻薬・恋人への暴力・コンビニ強盗などで複数の逮捕状が出ていました。
また同じことが起こるのではないかと心配で眠れない日々が続き、今でも不審な物音を聞くとパニックになってしまいます。家の中を調べ尽くすまでは、絶対にリラックスして寝ることができません。
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その中でも本当にショックだったのは、クリスマス直前に踏切で家族をはねてしまったことです。道路は凍結していて、家族が乗っていた車は時間内に停車が間に合わなかったのです。
私が運転していた列車は、車の助手席の中央にぶつかり、母親は即死。そして、車を線路からはじき出しました。乗っていた二人の子供と父親は、軽傷で済みました。
14年前、12歳の私は、友達と一緒に公園で自転車に乗っていました。友達の一人が私にチキンレースを挑んできました。
そのゲームは、公園から道路に向かってぎりぎりまで直進し、最初に尻込みして止まってしまった人が負けというルールでした。
私が自転車で道路に近づいたとき、縁石の手前でブレーキを踏んだのですが、ちょうどカーブを曲がってきた車が、私が道路に出ると思ってハンドルを切ったのです。
その車は老人が運転していて、電柱にぶつかって大怪我をしました。車が炎上しそうだったので、友人と一緒に老人を車から降ろしました。
老人は警察に「あの子の責任ではない。あの子が道を渡ろうとして、私はハンドルを切ったが、あの子は止まっていた」と私について話していたそうです。
その老人は翌日、病院で亡くなりました。友達とのくだらない遊びが原因でそんなことになってしまったと思うと、今でも動揺してしまいます。それ以来自転車がトラウマになり、去年まで自転車に乗れませんでした。
どうしてもこの話をしたかったのですが、誰にも言えずにいました。
今年の8月、私は交通事故を起こして、私の車の前に飛び出してきた歩行者をはね、殺してしまいました。今まで生きてきた中で、最も悲惨な出来事でした。
あの夜のことは、絶対に忘れられません。
私の車が歩行者に衝突したときの音、あちこちに散らばったガラス。犠牲者の名前と、8月8日午後9時29分に私が犠牲者を殺したこと。
一番辛いことは、人の死に責任があったことを毎日思い出し、心臓が胃の中に沈んでいくようなひどく憂鬱な感覚になることです。
周囲の人は「あなたの責任ではない、あなたはできる限りのことをした」と言ってくれますが、私には全く役に立ちません。
私が運転していなかったら、歩行者はまだ生きていたのではないか、と考えるばかりです。また、横断歩道を渡っていない人を見かけると、小さなパニック発作が起きてしまいます。
だから本当に、本当に辛くて・・もう一生忘れられないものなんだと思います。
私は間接的に父を殺しました。私が20歳の時(現在は25歳)、私と父は口論になりました。父はオキシコンチン(鎮痛剤)の乱用で問題を抱えていて、不安や鬱と戦っていました。
口論の中で私は父に「薬を飲めばいいじゃないか、薬を飲んでいる時はそんな嫌な奴じゃないんだから」と言いました。
父はその後、薬を飲みました…。私は知らなかったのですが、必要以上に薬を飲んでいました。
私が仕事から帰ってきて、夕食のために父を起こそうとしたら、父は冷たくなっていて、口の中には嘔吐物が詰まっていました。
そのことで、私は自分を責め続けています。
真夜中に路地を歩いていると、強盗を目撃した。男性の強盗と女性の被害者。この男は女性に性的暴行を加えようとしていた。
私は凍りついた。男は私を見て立ち止まり、ナイフを振りかざして私に向かって歩いてきた。その間に女性は逃げた。
私は、死の願望を以前から持っていて、これで人生が終わるなら、せめて戦いに挑んでやろうと思った。私の命と引き換えに誰かの命を救えたことは、最後の思い出として十分だと思った。
男が先に攻撃をしかけてきた。
血まみれの乱闘になった。
私はナイフで男の喉を刺すことができたが、手と前腕に裂傷を負った。アドレナリンが出ていたせいか、助けが来るまでは意識があり、私はこの男と一緒に病院に運ばれた。
男は死に、私は死ななかった。
数ヶ月間は最悪だったが、まだ生きている。だけど今でも、刃物を見ると少し怖くなる。
叔父はトラクターの大型草刈り機を動かしていたとき、友人の10歳の息子を一緒に乗せていた。
その子は足を滑らせて草刈り機の下に落ち、切り裂かれてしまった。叔父はしばらくの間、とても動揺していた。寝ることも食べることもできず、体重も15kgほど減っていた。そしてその子が亡くなって以来、叔母が仕事から帰ってくるまで、叔父は暗い部屋で何時間も座っていた。
免許を取得して間もない10代の頃、かなりスピードの出る車に乗っていた。
ある遅い夜に、仕事が終わってから、友人たちに会いに出かけた。迎えに行って、みんなでドライブに出かけた。運転できる人たちが高速道路を順番に走り、スピードを出してバカなことをしていた。
その後、静かな住宅街に入っていった。平日の深夜過ぎだったので、通りには誰もいなかった。私が運転していて、長い直線に差しかかったところで加速した…。ただ単に、友人にこのスピードを自慢したかったんだ。
そのとき、友人の一人がスピードを落とすよう言ってきたので、私はアクセルから足を離したが、その時点でスピードを出しすぎていて、道路に突き出た部分があることに気づかなかった。
それを避けようとハンドルを切ったところ、車のコントロールを失った。車は何度かひっくり返り、運転席側の木にぶつかった。
私も大けがをしたため、この時点から先のことはあまり覚えていないが、誰かが「みんな大丈夫か?」と言って、それから別の誰かが友人の一人の名前を言って「大変だ!」と答えたのを覚えている。
振り返って後ろを見たら、致命傷を負った彼の顔が見えた。息遣いも聞こえた。『死前喘鳴』と呼ばれる亡くなる直前の”ゼイゼイ”という呼吸を聞いたことがある人は知っているかもしれないが、その喘鳴の音は今でも忘れられない。その時は分からなかったが、それは明らかに死の音だったのだ。
彼はほぼ即死だった。
事故の5秒前まで、私の行動は取るに足らないものだと思っていた…。私達は事故の直前まで楽しんでいた。
私の行動のせいで、まだ幼かった10代の少年を、両親や家族、彼を愛し世話をしてくれた人たちから奪ってしまった。
彼は私たちより2、3歳年下だった。私たちは彼の面倒を見て、冗談を言って、笑って…、将来の話をした。私たちの夢や願望… 私はそれを彼から、そして世界から奪った。
私は彼の家族を破壊し、決して感じてはならない悲しみを、彼を愛していた人々に毎日感じさせてしまった。
羞恥心、後悔、そして悲しみが、私の気持ちだ。16年間、毎日感じてきたこと…。彼は今月で32歳になるはずだった。私は毎日、彼のこと、あの夜のこと、自分の行動のことを考えている。目を閉じると数センチ先で死んでいく友人の姿が見える。
寝室には彼の写真を飾っていて、寝る前と起きたときに必ず見るようにしている。
私は不幸な人生を送っていると言えば嘘になる。私は彼を死なせた罪で刑務所に送られた。だがその後、私はなんとか生活の基盤を作り、キャリアを築き、家を持った。私には支えてくれる素晴らしい家族がいる。
事故の前からの素敵な友人もいれば、私の過去を知らない新しい友人もいる。私と一緒にいた2人は、私の最も親しい友人たちで、今は自分たちの子供がいる。
私はここに座って、泣きながらこの文章を書いている…。それでも、また明日になれば普通の毎日がやってくる。
私は今、自分の行動には結果が伴うことを知っている。あの時、その感覚があればよかったのだが、それは無理だった。
もしあなたがこれを読んでいたら、どうか何があっても常に安全運転を心がけてほしい。そうしないと、もしあなたが私のような選択をした場合、その行動が私のような最悪な結果をもたらすかもしれない。
ディスカッション
コメント一覧
不可抗力とか正当防衛で人をあやめてしまった人は気の毒だなあ
喧嘩の末の自死とかも後味悪い
当事者にしか分からない苦しみがあるのだろうがどうか自分を責めすぎないでほしいな
優しい嘘。
老人は警察に「あの子の責任ではない。あの子が道を渡ろうとして、私はハンドルを切ったが、あの子は止まっていた。
強盗と戦った人すごい
「私の命と引き換えに誰かの命を救えたことは、最後の思い出として十分だと思った。」って例え死の願望があったとしても出来ることじゃないと思う。
原文で読めないかぎり、こういうのはなんともいえないなと思う。
単語のチョイスとかで感想違ってくるしな。
すごいとか反省してるんだなという感想を持つと裏切られるかも。
こういう話もあるんだな、くらいに思うのが一番いいんだろうな。
10代〜20代は随分馬鹿な運転をして来たが、無事に誰も殺さずに済んだ。今考えると恐ろしい。バイクで自分が死にかけてからは安全運転している。
自分が体験するまでは分からない想像力のない生き物がたくさんいると思うと恐ろしいよ
本当に苦しいね
一つ目の話。
若いうちに他人のせいで人生が悪く変わるなんて、気の毒だと思った。