偶然でお金持ちになったケース5例
偶然の結果、大金を手に入れることになった人たちをご紹介していこう。
1.最後のバケツ一杯に見つかったオパール
(via pixnio)
(via luxury-insider)
オーストラリアの鉱山労働者であったボビーは、この日で40年間の仕事を終えようとしていた。彼は友達に採鉱装置を売り、このバケツ一杯分で採掘を終えて、自宅に帰ろうとしていた。
スポンサーリンク
彼はその最後に、幸運を引き当てた。その中にはオパールの原石が入っていたのである。そして彼は、この原石を2年かけて歯科用ドリルで磨き上げた。
(via luxury-insider)
それから12年もの間、彼はベッドの下にこの宝石をしまいこんでいた。誰かに盗まれてしまうことを恐れていたからだ。ようやくその価値が判明したのは、彼が信頼できる宝石デザイナーのジェッターに出会ってからだった。
彼女の鑑定により、この宝石は非常に貴重で、並外れた美しさを持つブラックオパールであることが分かった。そしてロイヤル・ワンと名付けられ、ラスベガスで行われたオークションで3億円の値が付いたのだ。
2.壁の中に見つかったお金
.
(via nbc news )
2009年、クリーブランド出身の土建業者ボブ・キッツが、学友であったアマンダ・リースの家を改装していた。ボブが浴室の古いタイルを取り壊していると、その中に2つの金庫を発見した。
驚くべきことに、金庫の中には封筒に包まれた大量の紙幣が入っていた。封筒の差出人住所はP.ダン通信社となっており、紙幣の合計額は約1900万円(18.2万ドル)に上った。
(via Coin books)
学友のアマンダはこの知らせを受けて喜び、ボブにお礼として見つけたお金の10%を渡すと申し出た。だがボブは傲慢なことに、この申し出に納得せず、40%の分け前を要求したのである。どちらもこの分配に合意できなかったため、話し合いは法廷にもつれこむとになった。
そしてこの裁判がニュースで報道され注目を浴びたことで、差出人住所に書いてあったP.ダンの子どもたちまで分け前を求めて争いに参加することになった。裁判の結果、この大金は争ったメンバー全員で均等に分配することが決定された。
3.失くした金づちを探していたら・・
(via wikipedia)
1992年、イギリスの農家であるピーター・ワトリングが、農場で金づちをどこかに失くしてしまった。彼はその金づちを徹底的に探すため、趣味で自作の金属探知機を作っている友達のエリック・ローズに、一緒に探してくれるよう頼んだ。
エリックは快諾して、金属探知を始めた。すると数分で当たりがあった。エリックはそこで銀のスプーンや金の宝石、そしてたくさんの銀貨や金貨を見つけたのだ。
(via Ancient origins)
彼らは何個か回収した後、それ以上掘り起こさず、地主と警察に連絡を取った。翌日、考古学者らのチームが組まれ、全ての財宝が1日で掘り起こされた。見つかった財宝は、古代ローマの銀貨や金貨、銅貨14865個、銀の食器類や金の装飾品が約200個にも及んだ。
(via wikipedia)
(via wikipedia)
考古学者らはこの財宝を、発見された地名にちなみ「ホクスンの財宝」と名付けた。この財宝の価値は、5億円近くになるとされた。そしてすべての財宝は、大英博物館に保管・展示されることになった。また後に見つかった金づちも、記念に寄付された。
(via lindahall)
発見者のエリックには、財宝を見つけた賞金として約5億円が与えられることになった。エリックはその賞金を友達のピーターと分け合った。
4.額縁の中に見つかったのは・・
(via spadesnews)
ペンシルバニア州のある男性が、ガレージセールで約400円の絵画を購入した。男性はこの絵画を家に飾ろうと思って額縁を外した。するとその絵画の裏には、ある文書が張り付けられていた。
(via Mandy Lunn)
それはたった25枚しか現存しない公式のアメリカ独立宣言書であった。この宣言書は、後にオークションにかけられ、約2.4億円で売却されることになった。
独立宣言書が偶然発見されたケースは、他にもある。テネシー州の中古ショップで、独立宣言書の偽物コピーを購入したと思っていたマイケル・スパークスもそうだった。専門家の鑑定を受けたところ、本物だと判明し約4800万円もの値が付いたのだ。
5.骨董品市で見つけた金製の卵。とかして売り払おうとしていたスクラップ業者
(via dailymail)
2015年に、アメリカ中西部に住むスクラップ業者の男性が、骨とう品市で6㎝ほどの小さな金製卵を見つけた。溶かして金にすれば、ちょっとばかりの儲けはあるだろうと、値段は約140万円と高かったが買うことにした。
(via dailymail)
宝石が埋め込まれたこの卵を開けてみると、中には時計があり、その時計の裏にはヴァシュロン・コンスタンタンの刻印が入っていた。溶かしてしまう前にこの宝石の素性を調べておこうと思い、グーグルで刻印された文字を検索し、関連する記事を見ていった。
するとその中に、金細工師ファベルジェが1887年にロシア皇帝へ納めた3番目のイースターエッグを必死に捜索しているという記事が見つかった。このエッグは1922年にオークションにかけられた後、行方不明になっていた。
(via wikipedia)
それこそが、彼が骨とう品市で購入したものだった。ファベルジェがロシア皇帝に製作したイースターエッグは全部で50個しかなく、そのうち8個は行方が分からなくなっていた。今回、そのうちの一つが見つかったということになる。
彼はファベルジェの専門家にこの宝石を見てもらうため、アメリカからはるばるイギリスに初めて飛んだ。そして宝石が本物であるというお墨付きを得て、約33億円で個人収集家に売り払うことができたのだ。
参考:brightside
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません