毒親の元で育った人達が投稿した、子供の時の目茶苦茶なルール

海外掲示板に「あなたの親が、あなたが子供の頃に課していた最も不条理なルールは何?」というスレッドが立った。その中で多くの人にシェアされた投稿をご紹介していこう。全15選。

(via mcfarlandmo)

うちの両親は全体的ににひどい親だったけど、私たち兄弟が我慢していた一番おかしなルールは、連続してくしゃみをしてはいけないというものだった。

1回のくしゃみは、問題なし。何分か経ってから、またくしゃみをしてもOK。

だけど、2回連続してくしゃみをしたら?鼻や口をきちんと覆っていたとしても、「不衛生だ、マナーがない」と怒鳴られた。

3回以上連続してくしゃみをした場合は、「神が許さない」と怒った。私は花粉症持ちなので、父が特に機嫌が悪かったときに、くしゃみを連続でしているところを見られて、1週間の外出禁止になった。

 
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おならをしたら、凍えるような冬でも2時間は外に出された。ある日、私は寒さで倒れ、それから3時間後に発見されて入院し、その後母親から引き離された。

それからは祖父母と一緒に暮らし、法律上は18歳になるまで母親に会うことができなかった。児童虐待だと認定されたらしい。

 

(via pxhere)

私の母は、誰も彼もが誘拐犯だと妄想していた。母は我が家の配達ルートにいる郵便配達人を特に嫌っていた。

私が3歳か4歳の頃、母は「郵便物が来る時に、外に絶対にいてはいけない」と私に言い聞かせていた。

毎日11時15分頃、私は郵便のトラックが来るのを見ていた。見つかるのが怖くて、急いで家の中に入った。これはもう30年前のことだけど、今でも郵便配達員が来るのを見ると、脳の奥の方で一抹のパニックを感じる。

 

エイズにかかってしまうと言われ、市民プールでは泳ぐことができませんでした。1年のうち一週間、体育の授業でプールに行きましたが、私は参加できないので、プールの周りを何周も歩かなければなりませんでした。

 

私の義父は5ページ分のルール一覧を作り、私に印刷させて、署名させました。もしルールに違反した場合、私は家から出ていかなければなりませんでした。

私は悪い子ではなかったので、それらの決まりは守りましたが、義父は私を支配するためにこのようなことをやっていたのだと思います。

 

私は学校に行くとき以外、自分の部屋から出ることは許されませんでした。トイレやキッチンに行くことはできましたが、そこに行く理由がなければ、出られませんでした。

 

私(女)は、16歳になるまで足の毛を剃ったら駄目だった。12歳の時に剃ったけど母親にに見つかって、外出禁止になった。

また、何かを飲んだり食べたりするには、必ず母から許可を得なければならなかった。 それに加え、どこに行くにも、弟を一緒に連れて行かなきゃいけなかった。弟の遊び相手になる人がいない場合、私の行きたい所に行けなかった(弟と私は8歳違い)。

 

(via pinterest)

私の父はインド人で、芯の通った価値観を持ち、厳格なルールを私に課していました。

・水と牛乳以外は一切飲んではいけない
・砂糖を入れてはいけない
・毎日1時間、ランニングと腕立て伏せをしなければならない
・ヒンドゥー教の歌以外は禁止
・髪はいつも短く
・絵柄の入ったTシャツを着てはいけない。グレー、白、黒など無地のTシャツのみ着用可
・アメリカ料理は食べてはいけない

結局、私の精神は壊れてしまい、怒りを爆発させてしまいました。黒塗りのタトゥー(上記写真のような)を体に入れ、音楽はメタルを中心に何でも聴くようになり、父に仕返しをするために本当に馬鹿げた選択をたくさんしました。

父は今年の11月に亡くなりました。亡くなる前に、父は私に厳格すぎたことを謝り、私が人生の方向性を見つけたことを喜んでいたので、結局父は最悪の狂人ではなかったのだと思います。

 

(via the Italian voice)

父の元妻は、濡れた髪をタオルに包むことを許さなかった。普通の人はシャワーから出るときに髪の毛をタオルで巻いたりするけれど、私と妹にはさせてくれなかった。

また、私たち姉妹がすべての料理を食べきるまでテーブルから立ち上がらせてくれなかった。妹は、父が気づくまで4時間もテーブルに座っていたことがある。私たちは、食べきれなかった食べ物をトイレに捨てるようになり、それがきっかけで、夕食中にトイレに行ってはいけないという新しいルールができた。

 

寝る直前に、コップ1杯のレモンジュースを飲まなければならなかった。純粋な、搾りたてのレモンジュースを。それもコップ一杯。タイマーを10分にセットして、その間に飲めなかったら、お仕置き。想像できると思うけど、5歳のときにそれを飲んですぐベッドに入ると、ひどい胸焼けや吐き気がした。

 

私は当時、携帯電話のメール使い放題プランでしたが、月に100通を超えると外出禁止になりました。

 

私の家では、父以外は誰も郵便物を受け取ってはいけなかった。父が何時に帰ろうが関係なかった。父は受取人に関係なく、すべての郵便物を自分で開封して中身を確認していた。

 

私の母は、宗教上の理由で、魔法が出てくるような映画を見るのを許しませんでした。ジュマンジは 「悪魔の映画 」と言っていました。ディズニー映画の『リトル・マーメイド』は、16歳になるまで見れませんでした。

『プリンセスと魔法のキス』は親元から引っ越すまで見れませんでした。 また、『ハリー・ポッター』を読むことも禁止されていました。20歳になってからこっそり読んだんだけどね。

 

私ではなく、友人のこと。参考までに、私が23歳、友人は24歳。

1週間前、友人の家に行った。私はまだ自分の車を持っていないので、義理の兄と妹が送ってくれた。

友人と遊んだ後、家まで車で送ってくれるかどうか友人に聞いてみた。最初は「いいよ」と言ってくれたけど、みんなで帰ろうとしたときに、友人が「親にGPSで追跡されているから送っていけない」と言いだした。

私は電車で帰ることに問題はなかったのだけど、友人が当たり前のようにそう言ったので、私たちはとても困惑した。子供の頃、友人の両親は厳しく、どこにも行かせてくれなかったことは知っていたけれど、今も追跡装置を付けられていて、こんな目に友人があっているという事実に、帰り道、信じられないほど悲しくなった。

 

・マニキュアを塗らない
・ドレスの下にタイツを履かない
・ お茶を飲まない
・罵り合いのある番組を見てはいけない
・18歳まで就寝時間は9時30分
・高校生の時は毎晩9時に両親が私の携帯電話を取り上げ、メールに目を通していた

両親は私の日記を読んだり、私のパソコンを調べたりしていたし、私が友達と遊んでいる時にビデオカメラを置いて録画していたこともあった。

小学校の時、両親は私を座らせて「これだけは言っておくが、もし一緒に暮らしていて妊娠したら、お前を追い出す」と言った。私はまだ9歳だったのに。

 

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Posted by uti