証拠写真が無ければ信じてもらえないような出来事、ほか興味深い質問

海外の人達がシェアした印象深い質問&回答をご紹介していこう。

証拠写真がなければ信じてもらえないような体験を教えて?

ラスベガスで、窓を開けてドライブしていた時に、フクロウが車の中に飛び込んできたことがあります。

(via Nekronicle)

これは別角度から撮った写真で、フクロウは怒っているように見えます。

(via Nekronicle)

どうやってこのフクロウを車から出すか、まるまる3時間かけて考えました。私はこれまでにフクロウを生で見たことがなく、扱ったこともないので、フクロウが病原菌を持っているのか、攻撃してくるのか分かりませんでした。

最終的に、私の弟が靴箱を持ってやってきて、その箱でフクロウを捕まえて逃しました。このフクロウは、運転席から私の車に飛び込んできて、助手席の窓にぶつかり、さらに後部座席に飛び込んだので、怪我をしているのではないかと心配になったのですが、大丈夫そうでした。

 

(via Inside Edition)

みんな覚えていないかもしれなけど、結構前、解体工事中に高さ56mの煙突がショベルカーの上に崩落して、奇跡的にそのショベルカーに乗っていた男性が生還したというニュースが報道されました。

【事故の動画】

事故の様子はドローンで撮影されていて、その動画はかなりインパクトがあって、けっこう話題になりました。

その男性は、私の父なんです。その日、私は「建物が父の上に落下した」と上司に言い、会社を早退しなければなりませんでした。上司は私を信じなかったので、その晩のニュースを見るように言いました。

実際にこの事故は、国際的なニュースにもなりました。父に大きな怪我はなく、打撲と切り傷だけで済みました。死ななくて本当に良かったです。

 

空手着を着て、2本の刀を振り回したヤク中の男に襲われたことがあります。最終的に、自分のスケートボードで撃退しました。

(via Inside Edition)

もっと写真があればよかったんですけどね。これは向かいのマンションから撮影されたものです。怒鳴り声と騒ぎでそこのマンション住人のほとんどが目を覚ましたんです。

この写真の撮影者は、この事件から数週間後、バーで私に気づき、この写真をメールで送ってくれました。

 

ラジウムやウランなどの放射性元素を摂取するとどうなるの?

中国吉林省の宋学文は、金属製のチェーンを拾ってから、『死』よりひどい生活を送ることになりました。

宋さんは、まさかこのキーチェーンを手に取った結果、両足と左腕を失い、一生苦しむことになるなんて思いもしなかったでしょう。

(via arg6531)

1996年1月5日の朝、宋さんはいつものように仕事に出かけました。その途中で、雪の上にキーホルダーのような金属製のチェーンが光っていて、ひときわ目立っているのを見つけました。

(via Forrest Taylor)

当時中国では、格好良いキーチェーンは珍しかったのです。宋さんは、誰かがなくしたはずだと思い、それを拾いました。

その後、宋さんは周りの人にキーチェーンをなくした人がいないか聞いて回りました。ですが持ち主が見つからなかったので、このキーチェーンをズボンの右ポケットに入れ、仕事の休憩時間になったら持ち主を探そうと思いました。

ところが、出勤してわずか2時間足らずで、宋さんはめまいと吐き気を催し、手足に力が入らなくなったのです。どんどん弱っていき、嘔吐などの症状まで出てきました。

宋さんの状態がおかしいことに気づいた数人の従業員が、仕事場から駆けつけ、宋さんをすぐ病院へ送りました。

やがて、建設チームの監督も宋さんの状況を知り、急いで訪ねてきました。 監督は宋さんの持っているキーチェーンを見て、みるみるうちに表情が変わっていきました。

この”キーチェーン”には核放射性物質のイリジウム192が含まれており、非常に強い放射能を持っていたのです。

監督は宋さんに、エチレン製造設備の建設時、製造工程の欠陥を検出するためにイリジウム192を含む製品を使うことになっていたと言いました。ところが工事中、照明設備の故障で、この放射性核種を含むチェーンが誤って工事現場に落下してしまったのです。

そのあと、建築業者は長い間チェーンを探したのですが、見つからず、偶然にも宋さんが先に発見したのです。この会社は従業員に安全教育を行っていなかったため、従業員は核放射性物質があることも、それがどれほど有害なものかも知りませんでした。

検査の結果、宋さんは極めて深刻な放射線障害に見舞われ、全身照射量は3グレイに達し、最大基準の0.5グレイをはるかに超え、局部的な足の照射量は通常の7000倍にも達していました。

翌日、手足の壊死するスピードが速すぎるため、仕方なく病院は、宋さんの四肢切断手術を行いました。

こうして、宋さんは命を取り留めたものの、左前腕と右足を失ってしまいました。

(via Forrest Taylor)

しかし、これは始まりに過ぎなかったのです。宋さんは毎日ひどい痛みに襲われ、鎮痛剤に頼りながら日々を過ごすことになりました。

それから3年、宋さんは7回の大手術と数え切れないほどの小手術を受け、服用した薬や注射は数え切れないほどでした。

(via Forrest Taylor)

退院した時には、宋さんは左足も失い、右手は人差し指だけが残っており、生殖機能も失われていました。かつて50kgを越えていた体重は25kgしかありませんでした。そして、核放射線は彼の心にも影を落としたのです。

(via Forrest Taylor)

2019年4月23日、20年以上にわたって核放射線の被害と闘ってきた宋さんは、残念ながら亡くなられました。

 

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Posted by uti