世界記録の挑戦中に亡くなった人たち

2019年11月28日

世界記録への挑戦が、死亡事故へとつながってしまったケースをご紹介していこう。全9例。

1.髪の毛を使ったジップライン中に亡くなったシャイレーンドラ・ロイ

(via picturesso)

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ジップラインとは、木々の間に張られたワイヤーロープに滑車をつけて滑り下りる遊びだ。ロイは強靭な髪の毛の持ち主であり、ジップラインで滑車を用いず、髪の毛だけでロープ間を82.5m移動する偉業を2011年に達成し、ギネスレコーズから世界最長記録に認定されていた。
【髪の毛で輪っかを作ってロープに結び、移動する】

(via Bacalao con Papa)

2013年、彼は自らの記録を更新するため、インドのティースタ川をまたがる長さ182mのロープを張り、ジップラインに挑戦した。その挑戦を応援するため、多くの人が集まった。

彼の挑戦を見ていたカメラマンによれば、最初は順調だったが、半分を過ぎたところで突然前に進まなくなったという。そしてロイはもがき始め、何か大声で伝えようとしていたようだが、何を言っているかは聞き取れなかったそうだ。それから30分くらいもがいていたが、その後は全く動かなくなったという。

ロイは救命胴衣を身につけていたが、近くに救急隊員や医師はいなかったため、ロープから下ろすまで45分ほどかかってしまった。すぐに病院に運ばれたが、到着後死亡が確認された。彼の死因は、心臓発作だった。

2.最も高い高度でのパラシュートジャンプに挑戦したニック・ピアンタニーダ

(via wikipedia)

ソ連とアメリカが対立状態にあった冷戦の時代、アメリカ人のピアンタニーダは、当時パラシュートジャンプの世界記録を持っていたソ連空軍のエフゲニー・アンドレーエフから、世界記録を奪還しようと決心していた。

そして彼は、仮設便所ほどの気球付きゴンドラで高度3.6万mまで到達し、そこから飛び降りた。もし成功したなら、その高さはアンドレーエフが持っていた高度2.5万mを大幅に更新する記録だった。

【彼が実際に使ったゴンドラ】

(via wikipedia)

しかし落下後の高度1.7万mで、ピアンタニーダと地上管制官をつなぐ通信にスーッという異音が届いた。ピアンタニーダはそれから「緊急」と管制官に伝えた後、応答しなくなった。管制官は彼の危険を察知し、予定よりも早くパラシュートを作動させた。

彼がパラシュートで地上に戻るまでは25分を要した。発見されたのは、出発地点から約100km離れた場所だった。彼は着陸時に息をしていたが、意識はなかった。それ以来一度も意識を取り戻すことなく、4か月後に亡くなった。

事故の原因について完全に解明されたわけではないが、ピアンタニーダは低酸素症で脳に重大なダメージを受けていたことから、頭を保護する与圧ヘルメットが落下中に外れて呼吸困難になったのではないかと考えられている。

3.飛行機の世界最速記録に挑んだロウエル・ベールズ

(via cellcode)

エアレーサーであったロウエルは、3kmコースにおける飛行機の世界最速記録を打ち破るため、3度目の挑戦を行っていた。これまでの2回は、平均時速453kmに達したものの、わずか8km足らずで記録更新は叶わなかった。

そして3度目の挑戦は最高時速483kmに達し、記録更新の期待が高まったが、飛行中に燃料キャップがゆるみ、燃料が吹き飛んでフロントガラスに直撃、ロウエルはその衝撃で気絶してしまった。

そして飛行機は衝突し、火だるまになった。ロウエルの遺体は、崩壊した機体から約100m離れた場所で見つかった。

4.水上・陸上の世界最速記録を保持していたドナルド・キャンベル

(via wikipedia)

ドナルド・キャンベルは1950~1960年代に水陸どちらとも世界最速記録を有していた。彼はその記録には飽き足らず、1967年に自家製のジェットエンジンボートであるブルーバードK7で自身の記録更新に挑んだ。

【ブルーバードK7のレプリカ】

(via wikimedia)

イギリスのコニストン・ウォーター湖で行われた本番走行で、ブルーバードは順調な加速を見せ最高時速480kmを超え、記録の更新は間近だった。しかし、その速度を超えた時点で水上機の先端が後方に浮き上がって上空15mで宙返りし、機体の先端から水面に突っ込んだ。

【事故の映像】

キャンベルはこの事故で亡くなったが、深さ40mの海底までダイバーが捜索しても遺体を見つけることができなかった。彼の白骨化した遺体がダイバーによって発見されたのは、それから34年後の2004年のことだった。

5.世界最長の生き埋めに挑戦したジャナカ・バスナヤケ

(via 24sata)

2012年、スリランカのマジシャンであったジャナカは、生き埋めの最長記録を打ち立てようとした。彼は3mの穴を掘ってその中に入り、友達に土をかぶせてもらって記録に挑戦した。

生き埋めから7時間半後、ジャナカはその友達によって掘り起こされた。しかし彼は窒息により、まったく息をしていなかった。その場で心肺蘇生が行われ、すぐに病院へ運ばれたが、数時間後に死亡が確認された。

彼の母親によれば、子供のころから映画の影響を受けて、このような奇行を楽しんでいたという。彼は以前にも自分自身を生き埋めにしており、2回行ってそれぞれ2.5時間と6時間をクリアしていたそうだ。だがそもそも、生き埋めの正式な世界記録は存在していない。

6.多人数でのフォーメーションスカイダイビングで亡くなったダイアナ・パリス

(via Spiegel Online)

ドイツ人スカイダイバーのダイアナ・パリス(46歳)が「パラシュートが開く前に2つの隊形を多人数のスカイダイバーでつくる」記録の挑戦中に命を落とした。これまでの最高記録は110人であり、彼女が死ぬことになった2014年のイベントでは、222人で行われた。

予定では、6000m上空で222人が10機の飛行機から飛び降り、80秒以内に万華鏡の隊形を作った後パラシュートを展開し、安全に地上へ着地するはずだった。

【万華鏡の隊形づくりには成功(動画)】

上の動画は、今回の事故が起きたスカイダイビングの映像であり、万華鏡フォーメーションに成功したことが見てとれる。しかしその後、ダイアナのメインパラシュートが故障して開かなかった。

ダイアナは予備のパラシュートを急いで開いたが、完全に展開する前に地面に激突してしまった。彼女は1500回以上のスカイダイビング経験のある熟練であったが、このスポーツで命を落とすことになった。

7.世界最大の風船飛ばしで町は大混乱。間接的に2人を死亡させる

(via DERELICT DOUG)

1986年に慈善団体のユナイテッドウェイが、オハイオ州・クリーブランドで募金援助を求めるために行ったバルーンフェスタは、この町に大きな混乱をもたらした。

このイベントでは、ヘリウムを注入した約200万個の風船を76mx46mの空間にネットで保持し、一斉に放つ予定だった。

【バルーンフェスタの様子(動画)】

実際に飛ばした風船の数は1,429,643個で予定よりも少なかったものの、大量の風船は冷たい風と雨のせいでふくらんだまま地面に落ち、道路や水路をふさいで大きな問題を引き起こした。またこのほかにも空港滑走路の一時利用停止や牧場での馬のケガなど様々な被害が生じた。

そしてそのイベントが行われた日、漁師2人が行方不明となり、緊急の救助依頼が出ていた。沿岸警備隊の船と救急隊のヘリが捜索に出動したが、漁師が行方不明になった湖は風船で埋もれ、湖の上空は風船が浮かび、捜索が不可能な状態だった。結局、捜索は打ち切られて、行方不明の漁師らは2日後に遺体となって湖岸に打ち上げられた。

8.呼吸器具なし、足ヒレなしのフリーダイビングで亡くなったニコラス・メボリ

【ニコラス・メボリが意識を失う直前の写真】

(via iFuun)

フリーダイバーのニコラスは酸素ボンベを持たず、足ひれも重りもつけず、 上降するロープもなしのフリーダイビングで、アメリカの最深潜水記録71mを更新するため、2013年にバハマの海で挑戦を行った。

彼は72mまで潜水するはずだったが、68mで戻り始めた。しかし彼は心変わりしたのか、再び深みへ潜っていった。彼は結局72mまで到達せず、潜水を始めてから3分38秒後に水面に戻ってきた。水面に上がってきた直後、彼には意識があった。手でOKサインをつくり問題ないことを示したが、その直後に倒れて意識を失った。

医師らは心肺停止状態のニコラスに心肺蘇生を90分行った後、病院へ搬送したが、ダイビングによる肺の損傷で亡くなった。

9.オートバイでの世界最長ジャンプで亡くなったジャヴァード・パリズバニアン

(via scoopwhoop)

イランのスタントマンであるジャヴァード(44歳)は、「バイクで飛び越えたバスの台数」の世界記録更新を狙っていた。それまでの世界記録は、1999年にアメリカ人スタントマンが達成した15台であった。

【記録挑戦時の映像】

ジャヴァードは大胆にも、その記録を大幅に超える22台のバスを横並びにして、挑戦を行ったのである。22台分は長さにすれば、63mだ。しかし、彼は13台目のバスに衝突し、即死した。

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雑学

Posted by uti