未解決の恐ろしい誘拐事件・7件
犠牲者がいまだに行方不明、あるいは犯人が特定できていない未解決の誘拐事件をご紹介していこう。全7件。
1.誘拐されて返ってきた子供が、自分の子供でなかったケース
(via metro)
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ポール・フランザックは10歳のときに新聞の切り抜きを見て、自分が赤ちゃんの頃に誘拐された事実を知った。1964年4月、看護師を装った女が、母親の腕に抱かれた生後1日目のポールを奪い取っていったのだ。
それから2年後、ポールと身体的特徴の似た子供が、ショッピングセンターに捨てられているのが見つかった。1960年代の事件当時、FBIはその子供をポールだと断定する方法を持っていなかった。しかしFBIは、そこで見つけた子供をポールだと判断して、両親に返した。
(via Kurir)
彼は年齢を重ねるごとに、自分の両親は本当の両親なのか疑問視するようになっていった。なぜなら、彼は家族の誰とも似ていなかったし、幼い頃から兄弟と興味が一致することは全くなかったからだ。
彼は49歳でついに決心し、両親を説得してDNA検査を受けた。そして結果は思ったとおり、両親との間に親子のつながりを示すものはなかった。
ポールは、真実を明らかにするため私立探偵を雇って調査を行った。その結果、彼はジャック・ローゼンタールという名前で生まれ、自分が思っていたより6ヶ月年老いていたことを知った。またポールには、双子の妹がいたことも分かった。
彼は今、育ててくれた両親の本当の子供と双子の妹を探すことに人生を捧げている。
2.何故か犯人からの連絡が途絶えた誘拐事件
(via Flashback Miami)
誘拐事件が発生したのは、1966年3月28日の早朝であった。フロリダ州に住むゴールドマン一家の自宅に銃を持った男が侵入してきたのだ。その家には17歳になるダニーと、両親の3人が暮らしていた。
犯人は両親を縛り上げ、1000万円の現金を要求した。だが犯人は自宅に現金が無いとわかると、ダニーに銃口を突きつけ、もし今日の夕方までに2500万円を用意できなければダニーを殺害すると脅迫し、後に電話で指示をすると言ってダニーを連れ去った。
ダニーの父親は犯人の去り際に、息子へむかって「犯人の言うことを聞くんだ」と言った。それが息子と父親の交わした最後の言葉になった。
誘拐犯は後で連絡すると言ったのに、いつまでたっても身代金について電話をしてくることはなかった。ダニーの行方は、50年以上経った現在でも分かっていない。
3.母親が殺害された後、誘拐された赤ちゃん
(via True Crime Daily)
1998年、20歳のシングルマザーだったシリーナ・ダルトンの遺体が、彼女の自宅アパートに偶然立ち寄った同僚によって発見された。報道では、彼女は凶器で6回刺されており、そのうちの5回は心臓や肺、肝臓を貫くほどの深い傷が残っていたという。
そして彼女と一緒にいたはずの生後2ヶ月のアリソンがいなくなっていた。また奇妙なことに、複数の哺乳びんも一緒になくなっていた。
この殺人事件が起きる前、シリーナは娘の実の父親であるダニエル・ポンペルに、子供の養育費援助を頼んでいた。
ダニエルは有力な被疑者として挙げられ、取調べを受けた。彼はシリーナの死亡推定時刻直前に、彼女のアパートを訪れたことを警察に告白したが、ドアをノックしても応答がなかったため、そのまま帰ったと話した。
当局は彼の自宅を捜索したが、赤ちゃんの行方や犯罪の証拠となるものは一切見つけられなかった。
現在でもダニエルが最も有力な被疑者であり続けているが、警察はその犯罪の証拠を見つけられず、未解決のままである。
4.砂漠の中に生き埋めにされ、無事生還した女の子
(via nytimes)
1934年、アリゾナ州・トゥーソンで一番の富豪ともいわれた祖父を持つジューン(当時7歳)が誘拐された。目撃者によればサングラスをかけ、やせこけてみすぼらしい男が、学校帰りのジューンをフォードのセダンに乗せていたという。
事件発生当日、ジューンの父親に一枚のノートがロザリオという子供から手渡された。ロザリオは、誘拐犯とされる人物から25セントをもらっており、その際にこのノートを彼女の父親へ渡すように言われたそうだ。
ノートには身代金として1.5万ドル(現在の価値で3000万円)の要求、そしてそのお金の受け渡し方法について詳細に書かれていた。また、もしこのことを公にすれば娘の命は無いともあった。
父親は犯人と内密に交渉を進めるつもりだったが、まもなくしてこの事件は明るみになり、警察によってトゥーソンの町は閉鎖され、大規模な犯人捜査が行われることになった。
そして翌日、今度は祖父のもとに一枚のノートが送られてきた。その紙には身代金を1万ドル(2000万円)に減額することと、受け渡しの場所と時刻が指示されていた。祖父は指示されたとおりにお金を用意して約束の場所へ向かったが、犯人は最後まで現れなかった。
(via Historic Images Outlet)
事件発生から約20日後に、アリゾナ州知事のもとへジューンの居場所を記したハガキが送られてきた。
その場所とは、トゥーソン郊外にある砂漠の真っ只中だった。そこに赴いた警官らは、2時間の捜索を経て低木に隠され、地下1mに埋められた金属箱を発見した。
その箱の中で、ジューンは足首を鎖で繋がれた状態で見つかった。彼女の体はアリに噛まれ、あせもができ、いたるところが汚れていたものの元気そうだった。
驚くべきことに、彼女は箱の中に19日間閉じ込められていたという。彼女の話では、食事は犯人が箱の中に置いていった食べ物でやり過ごし、トイレは陶器のポットにしていたという。
その後彼女を誘拐した犯人について、2人の被疑者が挙げられた。被疑者らは取り調べを受け、ジューンにも顔見せされたが、特定するには至らなかった。この事件から80年以上が経過し、ジューンは2014年に87歳で亡くなった。現在もこの事件の犯人は明らかになっていない。
5.夜中に公衆電話をかけていたら誘拐されたケース
(via vignette)
1991年、ミズーリ州に住むアンジェラ・ハモンド(20歳)が何者かに誘拐されたのは、妊娠4ヶ月のときだった。
アンジェラは事件が起きた日、親友と遊んだ後、婚約者のロブ・シェーファーの家へ遊びに行く予定だった。しかし友達と遊び疲れたので、ロブの家には行かないことを伝えるため、夜11時に公衆電話から婚約者へ電話をかけた。
(via Wikimedia )
彼と話している最中、彼女は緑色のトラックが公衆電話の区画を何度も周っていることに気づき、それを気味悪がって彼に伝えていた。
そしてその車は彼女のそばに停まり、男が車中から出てきた。男は彼女の隣の公衆電話に向かったと思ったら、再びトラックに戻り、懐中電灯を取り出して何か探しものでもするかのように、地面に光をかざしていた。
不安な気持ちを落ち着かせるため、彼女はその男に話しかけ、電話を使いたいなら使っても良いと言ったが、彼は「ノー」と答えて、再び探しものを始めた。
それから彼女の叫び声が電話越しに彼へ届いたのは、すぐだった。彼女の危険を察知したロブは、急いで車に乗り、彼女を助けるため公衆電話の場所に向かった。
(via True Crime Articles)
彼はそこへ向かう途中で、彼女が話していた車の特徴にそっくりなトラックが反対車線を走り去るのを見た。しかもそのトラックとすれ違ったとき、彼女らしき人物が彼に向かって助けを求め叫んでいたのが見えた。
彼は即座にUターンして追跡したが、不運なことに途中で車の変速機が故障し、そのトラックを逃してしまった。
警察はロブの証言を信頼してはいなかった。犯人はロブである可能性が高いとして嘘発見器にかけられた。しかし、その装置は彼が真実を話していることを示していた。
また後に2人の目撃者が現れ、アンジェラの失踪後まもなく、事件が起きた公衆電話の近くで特徴にあったトラックと怪しげな男をみたという証言がされた。こうしてロブの身の潔白は証明された。
(via True Crime Articles)
実は彼女が住むミズーリ州では、この事件が起きる2ヶ月前にも、コンビニ女性店員のチェリル(30歳)がさらわれている。これらの誘拐事件は、現在でも被害者の行方が分かっておらず、同一犯による犯行の可能性が高いとされている。
6.ボウモント家の子どもたちの失踪
(via wikipedia)
1966年1月、オーストラリアのグレネルグビーチで、ボウモント家の子どもたちが誘拐される事件が起きた。その日は、いつもどおり3人の子ども達だけで、バスに乗ってビーチへ遊びに行っていた。3人は門限の午後2時には帰ってくる予定だったが、その時間を過ぎても帰宅しなかった。
夜になっても帰ってこなかったことに心配した両親が、地元の警察へ通報した。警察と海難救助のボランティアも加わって捜索が行われたが、子どもたちを見つけることができなかった。
その後この事件が報道されると、たくさんのボランティアが援助の手を挙げ、南オーストラリア史上最大規模の捜索が行われた。また何百件もの目撃情報が集まった。その多くが、背が高く、日に焼けた、短い金髪で細長い顔の男が、子どもたちと一緒にいたという情報だった。
また3人が行方不明になる直前、地元のパン屋さんで、犯人からもらったお金でケーキを買っていたことも明らかになった。両親はケーキが買えるだけのお金を3人には与えていなかった。
事件から50年近くたち、現在まで数々の被疑者が浮上したが、いずれも犯人だとする証拠は見つかっていない。2018年時点、南オーストラリア政府は、この事件の解決につながる情報の提供者に7500万円の賞金を与えると約束している。
7.夜中の3時に訪問者。ドアを開けたら連れさられる
(via wikimedia)
1986年4月6日の早朝、アンソネット・ケイディート(当時9歳)がニューメキシコ州の自宅で誘拐された。事件が起きた前日の夜、母親のペニーは友達と地元のバーに行っており、自宅にいたのはアンソネットと妹のウェンディ、そして彼女たちのベビーシッターであった。
妹のウェンディによれば、夜中の3時頃にドアのノックされる音が聞こえたそうだ。二人の少女はまだ起きていて、アンソネットがそれに応答した。アンソネットはドアの向こう側にいる人物に、誰なのか聞いたところ、その人物は「おじのジョーだよ」と答えたという。
その言葉を信じた彼女がドアを開けると、ドアの前にいた二人の男に体をつかまれた。彼女は「離して!離して!」と蹴りながら叫んだが、茶色のワゴン車に乗せられ連れ去られてしまった。
(via Ihc2015)
この誘拐事件から1年後、警察はアンソネットと名乗る少女から、必死に助けを求める電話を受けとっている。
その通話で、彼女は自分の居場所を警察に詳しく教えようとしていた。だが話の途中で男が「誰がこの電話を使って良いと言った!」と怒って叫ぶ声が割り込んできた。彼女の叫び声とともに、小競り合いの音が聞こえ、電話は切れた。
録音された音声から、アンソネットの母親はこの電話が娘からのものだと確信した。一方で男の声は、聞いたことがなく面識のある人物ではなかった。
それから4年後、ネバダ州のレストランで働いていたウェイトレスが、食器をしきりと叩いて彼女の注意をひこうとする十代の少女に出会った。ウェイトレスは食器を回収するたびに、その少女が自分の手を強く握ってくるのを不思議に思っていた。
(via unsolved)
そのとき少女は、ぼさぼさ頭の男2人と一緒にいた。少女たちが店を出た後、ウェイトレスが少女のいたテーブルを片付けていた。
そこでウェイトレスは、彼女が食べていた食器の下に驚くべきメッセージが書かれた紙ナプキンを見つけた。それには「助けて」「警察を呼んで」とあったのだ。
事件から30年以上がたった今でも、彼女の行方は分かっていない。もし生きているすれば、40代になっているはずだ。
ディスカッション
コメント一覧
1番目の事件は自分に読解力がないだけかもしれないけど10歳の時に新聞の切り抜きで自分が誘拐されたことを知ったのに49歳まで疑問視だけで済んだの?
やり切れない。誘拐された全ての人達が家族の元にもぉれますように
私が昔読んだ記事と少し違うので調べてみました。母親のペニーが帰宅したのが午前0時前、ベビーシッターはその際に帰宅しています。アントネットの妹はウェンディとセイディの二人です。
『誰が電話を使っていいと言った?』と言う声は女性です(YouTubeで公開されています)。
ダイナーで少女はフォークを床に落とし続けた。フォークを取り換えてあげる度にウェイトレスの手を握ってきたそうです。
妹のウェンディの証言は、事件後6年以上経ってから、TVインタビューではじめて出てきた情報であることから、あまり警察では重要視されていないそうです。また、ウェンディは『マスクをした男性2人』と証言しているのに対し、セイディは『男女2人でマスクはしていなかった』と話しています。
NM警察は母親のペニーを参考人として挙げていましたが、亡くなってしまいました。