バタフライ効果の驚くべき実例
バタフライ効果の語源になったのは、気象学者のエドワード・ローレンツによる「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こすか」という問いかけであった。
この問い掛けの正否は分かっていないが、現実の世界で非常に小さな事象が因果関係の末に大きな結果につながったケースは存在する。今回は2例ご紹介しよう。
1.ボデレ低地
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サハラ砂漠の南端にあるボデレ低地は、数千年前に湖が干上がって形成された。そしてここでは年間約100日、砂嵐が発生している。
信じられないかもしれないが、この嵐で巻き上がった砂塵はとてつもなく大切なものだ。なぜなら、かつて湖であったボデレ低地の砂塵には、植物の成長に不可欠な栄養素であるリンを豊富に含む微生物の死骸が大量に混ざっているからだ。
風はこの砂塵を拾い上げて大西洋を横断し、アマゾンにその砂塵をまき散らす。
実際にアマゾンでは、植物の成長に必要なリンの50%が、大洋を横断したこの砂塵から供給されている。
これほどの栄養を供給しているにも関わらず、ボデレ低地の大きさはアマゾンのわずか0.5%しかない。
かなり小さなものが、遠く離れたところに大きな影響を与えている。これがバタフライ効果である。
2.ゾフィー・ホテク
この美しく、無垢な女性が、20世紀の世界大戦を動かす上で果たした役割はかなり大きい。彼女はホーエンベルクの公爵夫人であった。
彼女のことを聞いたことがある人は、ほとんどいないだろう。
彼女はオーストリア・ハンガリー帝国の後継者だったオーストリア大公フランツ・フェルディナンドが、恋に落ちて結婚した女性である。
ゾフィーは伯爵家出身とは言え、皇家から見れば到底釣り合うような身分ではなく、大公と彼女との結婚は周囲から猛反対を受けていた。
最終的にゾフィーが皇族としての特権をすべて放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせないことを条件に結婚を承認された。
2人の結婚式は1900年7月1日に挙行された。しかしその後もゾフィーは冷遇され続け、公式行事においては幼児を含む全ての皇族の末席に座ることを余儀なくされた。それ以外の公の場でも、夫たる大公との同席は許されなかった。
大公は独裁者だったが、妻を深く愛していた。だから彼は、そのような俗物的な規範を嫌っていた。
しかしその馬鹿げたルールには一つだけ例外があった。それは彼がオーストリア・ハンガリー軍の監察官として軍事的な立場で行動している間だけ、公の場で彼の側にゾフィーを同席させられるということだった。
そのことは、大公が当時オーストリアの植民地であったボスニアの軍隊の視察を決定する主な理由となった(これは全く不要な任意の選択であった)。
彼は二人が一緒にいるのを誰もが見ることができるよう、かなり愚かなことだがオープンカーに乗った。
そしてオープンカーで訪問中に、二人はセルビアの民族主義者ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された。プリンツィプはオープンカーに駆け寄り、二人を至近距離から撃ち抜き、即死させた。
大公の暗殺をきっかけに、報復としてオーストリア=ハンガリーはセルビア王国に宣戦布告した。
ロシアはセルビアの最大の同盟国として、オーストリアに宣戦布告した。
ドイツはオーストリアの同盟国としてロシアに宣戦布告した。
ロシアの同盟国としてフランスとイギリスは、ドイツに宣戦布告した。
こうして第一次世界大戦が勃発することになった。
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コメント一覧
イチコメ_φ(・_・
それじゃあ…オレが今から外に出れば、
その反動で美女と運命的な出会いを果たせる、
という事もあり得るのか……(ガチャッ)