飛行機で密航した者たちの末路・5例
正規の出入国手続きを経ず、航空機にまぎれ込んで他国に渡航するのは、かなり難易度が高い行為である。
なぜかというと、旅客スペース以外に身を潜めなければならないからだ。多くの人々が車輪を収納する主脚格納庫に忍び込んで密航を試みるが、そのほとんどは死亡している。
その理由は、与圧がされていないため酸素濃度が低いこと、気温が-60℃にもなること、車輪の格納時に体を押し潰される危険があるためだ。
今回は、実際に飛行機で密航した人たちの事例をご紹介していこう。
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1.落下する瞬間がカメラに収められていたキース・サップフォード
(via miameemusic)
1970年、オーストラリアの写真家ジョン・ギルピンは、日本航空所有のダグラスDC-8の車輪格納部から14歳のキース・サップフォードが高度60mで落下する瞬間を捉えていた。
(via wikimedia)
このフライトはシドニーから東京へ向かう途中だった。キースが東京に密航したのは、冒険への揺るぎない欲求を満たすためだったとされている。
彼は数週間前に両親との世界一周旅行から帰ってきたばかりで、その旅で冒険の楽しさを知った。
彼はシドニー空港の駐機場に忍び込み、飛行機の車輪に登って、車輪が保管されている格納部に収まった。
(via allthatsinteresting)
だが彼は、飛行機の離陸後に車輪を収納する格納部の仕切りが開くことを理解していなかったようである。その仕切が開くと、彼は高さ60mから落下して亡くなった。
2.誘拐で指名手配された密航者が逃亡を試みて死亡
(via ABC News)
アンティグア国にて誘拐容疑で指名手配されていた30歳のトレバー・ジェイコブスは、捜査の手から逃れるため、1998年2月にトリニダード行きの便に忍び込んだ。
だが着陸した飛行機を点検していた整備員は、飛行機の主脚格納庫の中でトレバーの遺体を発見した。飛行中の極低温が、彼に凍死をもたらしたとされている。
3.二人の青年が滑走路に落ちて死亡
(via wikimedia)
2018年2月、エクアドルのグアヤキルからニューヨークに向かうフライト中、飛行機の車輪格納部から2人の青年とともに、衣類と20ドルが詰まったスーツケースが落下した。
その事故は離陸直後で、飛行機は高度300mに達していた。2人のうち1人は衝撃で死亡し、もう1人は落下による怪我が原因で死亡した。
グアヤキルの警察署長によれば、二人は車輪が格納されるときに強制的に排出させられたか、生還を信じて飛び降りたのではないかと考えている。後に二人の身元が判明し、いとこ同士であることが分かった。
5.モスクワに誤って渡り、戻ってきた密航者
(via wikipedia)
1996年4月、モスクワからパリに到着した飛行機の車輪格納部で、航空会社の従業員が24歳の密航者の遺体を発見した。
警察は当初、この男性がロシアからの政治亡命者と考えていたが、スペイン人かポルトガル人である可能性が非常に高いと判明した。
おそらくこの男性は、パリの空港に忍び込んでバルセロナ行きの飛行機に乗るつもりだったが、誤ってモスクワ行きの飛行機に乗ってしまったようである。
飛行機はパリの空港に折り返した後、点検整備が行われ、遺体の発見につながった。パリ~モスクワの往復中、彼がこの便に乗っていたことは確かだが、いつ亡くなったのかは分かっていない。
5.母親に会うために密航したヤハイ・アブディ
(via eastbaytimes)
2014年4月、カリフォルニア州の少年ヤハイ・アブディは、サンノゼ国際空港でボーイング747型機に忍び込んだ。
(via dailymail)
彼はマウイ島に向かう飛行機の車輪の格納部に隠れ、6時間におよぶフライトの間、そこに留まっていた。
ヤハイは、エチオピアの難民キャンプに住む母親に会いたかったと報道陣に語っている。飛行中、彼は小さな穴から雲が見えたことを覚えていた。
ヤハイは-50度にも達する低温と低酸素にも関わらず、奇跡的に生き延びた。彼はその後、8年間ぶりに電話で母親と話すことができた。
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最後意外と良い話?
人体とは何とも脆い…ヤハイ?!