世界一醜い女性の話(見世物・サイドショー)

海外のユーザーがシェアした、「世界一醜い女性」と呼ばれた女性についてご紹介していこう。

メアリー・アン・ウェブスターは、「世界で最も醜い女性」と言われていた女性です。ですがもし、世界で最も美しい母親を決めるコンテストがあったら、おそらく彼女が選ばれていたでしょうね。

メアリーは、1874年にイギリスのロンドンで生を受けました。彼女は美しく育ち、看護師の仕事に就いた後、結婚をして4人の子供をもうけました。

【病気になる前後のメアリー】

それからまもなく、メアリーは偏頭痛や筋肉痛、関節痛などの体調不良に悩まされるようになりました。医師も原因が分からないといいます。メアリーは家族や仕事のことで忙しく、健康に気を配る時間はほとんどありませんでした。

その症状に加えて、顔の異常な成長と歪みという別の症状に悩まされるようになり、その結果、彼女は写真のような外見になってしまったのです。

この病気は「先端巨大症」と呼ばれ、体内の成長ホルモンが過剰になり、骨や内臓、軟部組織が肥大化する疾患です。頭痛や筋肉痛を伴うことが多いようです。

今でこそ、医師はこの病気を完治できますが、20世紀初頭、メアリーは絶望的な状況にありました。彼女は毎日、自分の美しさが失われていくのを目の当たりにしていました。

夫は常に彼女の味方で、彼女を支えていましたが、結婚して11年目に急死しました。

4人の子供を一人で育てることになった彼女は、唯一の収入源である仕事を失い、多額の借金を背負い、外見のせいで良い仕事を紹介してもらえず、道行く人に侮辱されたり、馬鹿にされたりしていました。

事態がどんどん悪化していく中で、メアリーは「世界で最も醜い女性コンテスト」というものがあることを知りました。賞金が高額だったこともあり、参加することにしました。そのコンテストで、メアリーは屈辱的にも優勝しました。

優勝のせいで、マスメディアが彼女について不快な記事を書き始めたため、彼女はそれを読むのがとても辛かったそうです。

ですがそれがきっかけで、1920年に彼女はアメリカに招かれ、コニーアイランドの「ドリームランド」というショーに出演することになりました。彼女はそのショーで、外見の醜さや男らしさを強調するような服を着て、自分の容姿をアピールしなければなりませんでした。

【サイドショーのメンバー(四角の囲みがメアリー)】

彼女の奇妙な外見は、嘲笑や侮辱を受け、常に拒絶されていましたが、子供たちのためにそれらのすべてを耐えていました。

時に人々は、彼女をひどいあだ名で呼んだり、怒鳴ったり、石を投げたりしましたが、彼女には他に何も残っていなかったのですべてに耐えました。

その後、彼女はサイドショー(見世物)のパフォーマーとして雇われ、子ども4人を十分に食べさせられる稼ぎを得ていました。

上の写真は、彼女と子どもたち4人の家族写真で、全員がきちんとした服装をしています。また当時、スタジオでの写真撮影はあまり一般的ではありませんでした。これらのことが示すのは、メアリーは見世物小屋のパフォーマーというよりも、愛情深い母親であったということです。

残念ながら、先端巨大症を患う人の多くは長生きできません。メアリーはサイドショーの仕事を亡くなる直前まで続け、1933年に59歳という若さで亡くなりました。

スポンサーリンク



物語

Posted by uti