恐ろしくも悲しい病的な現実の画像・10枚
海外で最近話題に上がった、恐ろしく悲しい現実をとらえた画像をご紹介していこう。
1.近日公開の映画「ラスト(Rust)」の撮影現場で、小道具の銃を誤射して撮影監督を殺してしまったアレック・ボールドウィンが泣いている(2021/10/21)
(via The New Mexican)
スポンサーリンク
2.横断歩道でつまずいて転んだ若い女性を誤って轢き殺してしまったゴミ収集運転手の表情
(via Travelator)
3.これは200年間の近親交配の結果。スペイン王カルロス2世は、4歳になってもほとんど歩けず、まだ母乳を飲んでいた。9歳になっても読み書きができなかった。38歳死去。彼の死をきっかけにスペイン継承戦争が起こり、その戦争で40万~70万人が亡くなった
(via JustASpanishGuy)
(via Carlo Raso)
4.史上最年少の5歳で出産したリナ・メディナとその息子
(via tock-N-call-borture)
リナ・メディナは、1933年9月23日生まれのペルー人女性で、史上最年少の5歳7ヶ月21日で出産した。
両親は、娘のお腹が大きくなったことに気づいて、娘を病院に連れて行った。医師は当初、腫瘍があるのではないかと考えていたが、娘が妊娠7カ月目であることを突き止めた。
(via Afrinik)
その後、医師は彼女をリマに連れて行き、他の専門家に妊娠していることを確認してもらった。
リナの父親は、児童性的虐待の疑いで逮捕されたが、証拠不十分で釈放され、実の父親は特定されなかったという。息子は健康に育ち、1979年に40歳で亡くなった。リナ・メディナは88歳で亡くなっている。
5.これまでに多くのダイバーが犠牲になった水中洞窟の警告サイン
(via MaximumBasis9326)
6.頭部への違法な打撃、ラビットパンチにより植物状態に陥った元ボクサーのプリチャード・コロン
(via Is-that-a_supra)
(via Is-that-a_supra)
当該の事件が起きたのは、プロデビュー2年目の2015年10月17日、バージニア州のイーグルバンク・アリーナで行われたテレル・ウィリアムスとのセミファイナル戦だった。
コロンとウィリアムズは9ラウンド戦い、最初の5ラウンドはコロンが優勢だった。試合中、ウィリアムスは何度もコロンの後頭部に打撃を加えた。これはラビットパンチと呼ばれ、ボクシングや総合格闘技などで禁止されている。
(via PBC)
ラビットパンチは、頸椎や脊髄を損傷させ、重篤で回復不能な脊髄損傷を引き起こす可能性があるため、非常に危険だとみなされる。脳を脳幹から切り離すこともあり、即死する可能性もある。
コロンは第9ラウンドで、複数の反則攻撃を受けた後、プロ生活で初めてダウンを喫した。コロンは、ラウンドの合間にリングサイドの医師に相談し、「めまいがするが、続けられると思う」と述べた。
リングサイドの医師はコロンに許可を出し、試合を続行した。コロンは第9ラウンド終了後に失格となった。コーチが試合終了と勘違いして、彼のグローブを外したためである。
試合後、コロンは嘔吐して病院に運ばれ、脳出血と診断された。その後、コロンは221日間の昏睡状態に陥った。
コロンは複数の病院で治療を受け、最終的に母親の自宅に移された。現在彼は、永続的な植物状態となっている。
対戦者のウィリアムスは、この試合の後、姿を消した。SNSへの投稿をやめてしまった。フェアでない試合のことを特に反省していないようだった。彼は毎日、何十万もの死の脅迫を受けていたとされるが、まもなくSNSをアカウントをすべて削除した。それ以来、公に顔を出していない。
7. 94日間のハンガーストライキによる体の変化。写真はパレスチナ人のケイド・ファズファスで、起訴も裁判もないまま投獄するイスラエルの「行政拘留」に抗議している
(via Btselem)
8.ある女性が自殺する前に、1年以上にわたって処方された抗うつ剤を溜め込んでいた量
(via spookyboi452pt2)
9. 1942年の中国飢饉の際、英国大使館の前で木の皮を食べて飢えをしのぐ中国人男性。中国内戦の影響で、1942年~1943年にかけて、河南省では約300万人が飢餓や病気で死亡したと言われている
(via JPC_keo)
10. 2004年9月1日、ロシアのベスラン学校の登校初日に撮影されたクラスメートたち。この写真に生き残った者はいない
(via myrmekochoria)
ベスラン学校占拠事件は、2004年9月1日から3日間にわたり、チェチェン共和国独立派を中心とする多国籍の武装集団が1,100人以上(うち子ども777人)を人質として監禁したテロ事件である。
最終的に特殊部隊が建物を制圧したものの、犯人グループと特殊部隊の銃撃戦などで、333人(うち子ども186人)と襲撃者31人が殺害された。この事件は、人類史上最も死者を出した学校銃乱射事件とされている。
(参考:ベスラン学校占拠事件ーwikipedia)
ディスカッション
コメント一覧
1979年40歳で亡くなったのはリナ・メディナの息子ですよ
ご指摘ありがとうございます。主語を訳し間違えましたので、修正させていただきました。
どれも悲しい。ボールドウィンの件はニュースになってたね。
本人もそうだが亡くなった助監督の女性も気の毒に。
ベスランの件もいたたまれない
スペイン王を検死した医師は、腐った死体でも解剖したのだろうか。
学校の真ん中のは白人娘S級の上玉なのにもったいねー!
チェチェンのヤローめ許さねー!