みんなが目撃した最も邪悪なことは何?(9話)

海外掲示板でシェアされた「あなたが目撃した最も邪悪なものは何?」、「今まで目撃した他人の最悪の行為は何?」という質問から、多くの人の興味を集めた回答をご紹介していこう。

過去に保育士をしていました。

1990年代後半~2000年代前半にかけて、私は中~重度の情緒的・行動的な問題を抱えた子どもたちの面倒を見ていました。

そのなかで忘れられないのは、4歳の時から父親に性的虐待を受けていた8歳の子どものことです。

信じられないかもしれませんが、その子どもの母親は、”その子の姉”でした。その子は、父親と姉との近親相○の産物だったのです。

姉は12歳の時に、その子を妊娠したと聞いています。

父親が捕まったのは、8歳のその子と当時20歳の姉の虐待をビデオに撮り、そのテープをインターネットで売ろうとし、FBIの潜入捜査官に売ってしまったからだそうです。

 

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私の友人が、道で倒れている男性を見かけました。医療従事者である友人は何をすべきか知っており、男性が死にかけていることを理解すると、心肺蘇生を開始しました。

その間、他の人が救急車を呼び、15分後に救急車が到着するまで、友人は根気よく心肺蘇生を続けました。

その男性は手術が必要でしたが、一命を取り留め、今も生きています(これは約5年前の出来事です)。

しかし、友人が心肺蘇生をしている間に、男性の肋骨の1本が折れてしまったのです。男性は友人を訴え、命を救ってくれた人から大金をせしめようとしました。

幸いにも男性は裁判に勝ちませんでしたが、それでもこの男性がしたことは消えることはありません。

 

ある日の放課後、高校の新入生がゴミ箱の近くで注射器を拾い、友人の一人に駆け寄り、”冗談 “と称して、その注射器を友人の足に刺しているのを目撃したことがある。

刺された生徒や他の生徒がパニックになっているのに、刺した生徒はただそこに座って、素晴らしい冗談であるかのように振る舞い、「そんなに痛くないだろ」と言って、騒ぐ生徒たちを「弱虫」と呼び続けた。

最近の子供は頭がバカだと言われているけれど、使い古しの注射器で人を刺しておいて、なぜ皆が騒いでいるのか理解できないほどバカだとは思わなかった。

 

6歳の時、近所の人が黒いケーブルで他の近所の犬を絞め殺すのを目撃しました。私は家に逃げ帰って母に話し、母は警察を呼びました。私は警察の取り調べを受けることになりました。

その後、犬殺しの隣人は刑務所行きになりました。またその隣人は大学生で、キャンパス内にある住宅で妻と4人の子供と一緒に暮らしていたのですが、退学処分となり、家族全員が住宅から追い出されました。

 

私が6~7歳くらいのことです。数軒先に住んでいた、ちょっと頭のおかしい年上の子と時々一緒に遊んでいました。

ある日、彼が「面白いものがあるから見に行こう」と言ったので、私は自転車に乗って、家の近くの雑草が生い茂った川岸まで、彼のあとをついて行きました。

彼はそこで冬眠中のハリネズミを見つけたのです。 しかし、彼がペンナイフを取り出した瞬間、私に見せようとしたのはハリネズミそのものではなかったことに気づきました。

彼は寝ているハリネズミを何度も刺し続けました。なぜそんなことをしたのかはわかりません。私はただ呆然としていました。

考えてみると、このことを誰かに話したのは初めてだと思います。

 

7歳くらいの頃、私は動物が大好きでした。獣医になりたかったし、どんな動物の世話もしたかったのです。だから、私がかわいいオポッサムの親子を見たとき、私の気持ちがどれくらいときめいたか、想像できるでしょう。

ですが、どうやらこの通りに住む老人は、朝早くからオポッサムが道路にたむろしているのが気に食わないらしい。

私は、その人がオポッサムを全部(たぶん8匹くらい)拾って、ゴミ袋に放り込むのを見ました。そして、その袋を縛り、地面に投げつけ、オポッサムを踏みつけて殺したのです。それは本当にトラウマになるような光景でした。

 

私の父はサイコパスだった。私たち兄弟をいつも殴っていた。母は、私が4歳のときにようやく父と離婚したが、私にとってはさらに悪い状況になった。

兄もサイコパスで、本物のモンスターだったから。

何年にも渡る兄による虐待で、私は第3度熱傷(皮下組織まで及ぶ火傷)で入院、内出血で緊急手術、鼻を骨折し、何針も縫うことになった。

私の学校は、最終的に母を呼び出し、捜査が行われることになった。事実が明らかになると、兄は3ヶ月間精神病院へ入院することになった。

あいつがどれほど極悪だったかというと、たとえば私が芝生に寝そべっているときに、自転車で全速力で向かってきて、私に動く暇を与えず、顔を踏ん付けていった。その時、私を見下ろしたあいつの邪悪な笑みと喜びの表情を、私は鮮明に覚えている。

 

私の従兄弟(当時11歳)がタバコを吸って、学校をサボっていたところを、彼の母親が見つけました。

彼の母親は、学校をサボったことは怒りませんでしたが(母親は放任主義だった)、「自家用車のそばでタバコを吸うな」と言いました。

彼はそう言われたのが気に食わなかったらしく、八つ当たりとして私の弟(当時2歳)の手をつかんで、道路の真ん中の見通しの悪い場所に連れて行きました。そして、弟を座らせ、「そこから動くな!」と言って立ち去りました。

幸いにも、近所の人がその様子を見ていて、車にひかれる前に弟を連れ出してくれました。

ちなみにその従兄弟は今、麻薬の密輸でインドネシアの刑務所にいて、死刑宣告を受けるかもしれません。

 

叔母には2人の子どもがいて、どちらも養子です。私が二人の実の母親たちについて知っているのは、どちらも麻薬中毒者であったという事実だけです。

養子のうちの一人、ジェーンは私と同い年で、私たちはいつも本当に仲が良かったのですが、もう一人の養子でジェーンの兄であるジョンは、私たちとあまり付き合いませんでした。

なので、私が彼らの家でたくさん時間を過ごしていても、私はほとんどジョンのことを知りませんでした。

私たちが12歳くらいのとき、ジェーンと私、私の妹の3人で、地下室に毛布で巨大な秘密基地を作り、遊んでいたんです。

ジョンは当時15歳くらいで、どうして私達のいる地下室に入ってきたのか分かりませんが、ちょっかいを出したかったのかもしれません。彼は大きなキッチンナイフで秘密基地の毛布をランダムに刺していきました。

私たちは這って逃げようとしたのですが、彼は私たちの声を聞きつけて、私たちがいるあたりにもナイフを刺してきたのです。身内をやみくもに刺すことは、明らかにちょっかいのレベルを超えていました。

ジェーンは彼に止めるよう叫び、私と妹は泣いていました。本当に怖かった。ついに叔母が私たちの叫び声を聞いて地下室に降りてきて、彼を怒鳴りつけました。彼はただの冗談だと言い、「みんな楽しんでいた」と言いました。

彼は今、殺人罪で25年の実刑判決を受けている最中です。

 

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Posted by uti