昔の人達がやっていたビックリなこと
今では考えられない、昔の人たちがやっていたことをご紹介していこう。全12個。
1.電気照明が発明されるまで、人々は2回眠っていた
(via wikimedia)
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中世ヨーロッパなどでは、一回寝て起き、再び寝る「二相睡眠」が一般的だった。一回目の睡眠は、日没後から真夜中まで。それから2~3時間ほど起きて、月の灯を頼りにお祈りや読書、縫い物や薪割りなどにいそしんでいた。それが終わると、2回目の睡眠に入り、日の出まで寝ていた。
当時、寝る時間は比較的自由だったので、不眠症になる人はかなり少なかったとされている。
2.人を起床させる職業、ノッカー・アップが存在していた
(via Recuerdos de Pandora)
ノッカー・アップが職業として誕生したのは、イギリスで産業革命が起きたころであった。この頃、多くの人達が交代勤務に従事するようになり、決められた時間に仕事へ行かなければならなくなった。
しかし、安価で信頼性の高いアラーム付き時計が存在しなかったので、時間通りに起床することは大変だった。その問題を解決するため、ノッカー・アップは生まれたのだ。この職業は、依頼された時間に労働者を起こすことが仕事である。
ノッカーアッパーは依頼者の起床時間になると、長い棒で窓を叩いたり、豆鉄砲をぶつけたりして依頼者を目覚めさせた。確実に依頼者が起きるまで、ノッカーアッパーはその場所から離れることはなかったという。
3.西欧では、2~8歳の男児がドレスを着るのは普通だった
(via wikipedia)
西ヨーロッパでは、16世紀から20世紀初め頃まで、女子のみならず男子もドレスを着用した。その一番の理由は、衣服の費用が安くすむためだ。ドレスは身体が大きくなっても、スカート部分を簡単に伸ばすことができたからである。
4.厚底すぎる靴、チョピンがイタリアで流行していた
(via wikimedia)
1400~1700年頃のイタリア・ベネチアで使用されていた靴で、靴底をコルクなどで厚くしている。この厚底は、主に洋服を水や泥から守り、足をぬれないように保護する役目があった。
またチョピンは、装着者の社会的・文化的地位の象徴でもあった。その靴底が高ければ高いほど、地位も高いとされたのである。そのためチョピンの中には、かかとの高さが50cmに達するものまであった。
あまりの高さのため、歩き方が不安定で不格好になり、貴族の女性が歩行するときには、肩を貸す下僕の付き添いが必要だったとも言われている。
5.体内から血を抜き取ることで、あらゆる病気が治ると考えられていた
(via Wikimedia)
2000年以上の歴史があり、20世紀初頭のヨーロッパやアメリカでも行われていた治療法である。この方法が良いとされた理由は、血液を外部に排出することで、体内にたまった不要物や有害物を一緒に取り除くことできると考えられていたからだ。
熱や下痢、風邪など様々な病気にこの治療法が使われていたが、実際には何の効き目もなく、むしろ患者を弱らせるだけであった。
6.とても不潔だった。シラミは「神の真珠」とも言われていたほど
(via Wikipedia)
中世ヨーロッパの一部地域において、人々は水のみが人間に病いをもたらすと信じ、頭髪にたかるシラミは神の真珠と呼ばれることさえあった。
この考えは君主にまで共有されていた。イベリア半島を支配していたイサベル1世は、生涯でたった2回しか身体を洗っていないことに誇りを持っていた。彼女が身を清めたのは、生まれた時と結婚式の前だけだったのである。
7.死亡後に記念写真を撮っていた
(via wikimedia)
奇妙な慣習が19世紀頃に存在していた。亡くなった人の思い出を残すため、死亡後に記念写真を撮影していたのである。撮影時には、亡くなった人がまるで生きているかのように自然なポーズをとらせて撮影した。
8.放射性物質を含んだ商品がたくさん販売されていた
(via wikimedia)
1898年にマリ・キュリー夫妻が放射性物質のラジウムを発見してからまもなく、放射線は体に良いものであるとして、長期間の調査を経ることなく、様々なラジウム入り商品が開発された。
たとえばラジウム入りの薬は、脱毛や高血圧、リウマチ、痛風などの幅広い治療に使用された。また衣服にも、チョコや炭酸水、化粧品、歯磨き粉にさえ加えられた。
だがラジウムは発がん性があり、摂取すると貧血や骨折、あごの壊死などを発症することがわかり、現在ではほとんど使用されることがなくなった。
9.麻薬ヘロインは風邪の治療薬だった
(via wikimedia)
驚くべきことに、100年前はヘロインがモルヒネに代わる害の無い薬だとされていた。ドイツの科学者が、ヘロインは気管支炎、慢性の咳や喘息、肺結核に効果があると発表し、依存性も無いとしたため、無制限に市場に流れたのである。
だが実際にはモルヒネよりも依存性が強かった。多くの人たちがヘロイン中毒になり、過剰摂取によって何十万人もの命が失われた。
10.石をトイレットペーパー代わりに使っていた
(via mfa)
トイレットペーパーが広く出回るようになったのは、1800年台後半である。そのため、トイレットペーパーの代わりに様々な物がおしりふきとして使われていた。
たとえば、植物の葉やとうもろこしの軸、ココナッツの殻、羊毛、スポンジを付けた棒、あるいは水だけなど。特に古代ギリシャ人の間では、丸くなった小石や陶器の破片が使用されていたことが分かっている。
11.中世のドイツでは、夫婦による決闘裁判が行われていた
(via wikipedia)
夫婦の間で行われた決闘裁判は、目撃者がおらず、夫妻のどちらとも自白しなかった事件の解決方法としてゲルマン法に規定されていた。決闘に勝利することで、自らの主張が認められたのである。
その決闘ルールは、夫が腰までの深さの穴に入り、片方の手を体に縛り付け、もう片方の手は細長い板を持ち、移動を制限された状態で戦った。一方妻は布に入れた石を武器に、自由に動き回って戦うことが許された。
12.物言えぬ動物にも裁判が行われていた
(via wikipedia)
中世ヨーロッパでは、人間と同じく動物も裁判にかけられた。最も多かったとされるのが、邪悪な魔術を使ったとしてネコやウシ、ニワトリ、ブタなどが裁かれることだった。
上記の絵に描かれているのは1457年に開かれた動物裁判で、子どもを殺害して食べたという容疑がブタにかけられたのだ。物言えぬブタは死刑判決を受け、火あぶりにされた。
参照:brightside
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