連続殺人犯の恐ろしいナース(看護師・7例)

2019年6月23日

患者の命を預かる立場でありながら、故意に殺傷を繰り返した看護師にまつわる連続殺人事件をご紹介していこう。

1.点滴袋に薬を入れて連続殺人。クリステン・ギルバート

【クリステン・ギルバート、1967年生まれ】

(via ThoughtCo)

周囲の友人や家族によれば、クリステンは10代の頃から異常行動で周囲に迷惑をかけていた。彼女には虚言癖があり、周囲の人間を振り回すため自殺未遂をしたり、人を脅迫するようなことをしていたのだ。

彼女は大学を卒業した後、正看護師となり、アメリカ・ノースアンプトンの退役軍人医療センターに就職した。

【退役軍人医療センター】

(via wikipedia)

そしてそこで、入院患者の点滴袋に心拍数をコントロールするエピネフリンを大量に入れ、心停止を誘発させていた。この薬は患者の死後に証拠が残りにくいことで知られる。彼女は致死量の薬を投与した後、患者の容体が急変して緊急警報がなると、患者の蘇生措置を自ら率先して行っていた。

病院の職員は、彼女が殺害した患者の数は80人以上に達し、300以上の緊急医療事態発生の責任を負っていると主張した。だが確定された犯罪行為は、4件の殺人と2件の殺人未遂のみだった。それらの罪で、彼女は終身刑を宣告されている。

殺人の動機は元ボーイフレンドの注目を集め、一緒に時間を過ごすためであったという。元ボーイフレンドは地元の警察官であり、この病院で緊急医療事態が発生すると、必ず駆けつけることになっていた。

彼女が患者に率先して蘇生を行っていたのも、元カレに良いところを見せようとしていたからだろう。

2.社会不適合者だったチャールズ・カレン

(via Blloku)

チャールズは、ニュージャージー州などで看護師として16年間病院勤めをしたが、どこの病院でも長続きしなかった。彼は16年間で少なくとも5回解雇され、2回辞職に追い込まれている。その原因は、患者の殺害行為が発覚しそうになったり、病院に馴染めなかったり、能力不足であったからだ。

彼は若くして両親を亡くし、子供時代は常にいじめを受け続けていた。9歳のときにはおもちゃの化学セットで自殺未遂をしたこともある。看護師になった後も、病院に馴染めず、プライベートでのトラブルを抱え、何度も自殺を図っていた。

そのような精神不安の中で、彼は40人以上の入院患者を殺害したとされている。彼が選択した殺害方法は、心臓薬として知られるジゴキシンの薬物注射だった。ジゴキシンはごく少量で十分に致死的であったから、チャールズは20年近くも発覚せずに逃がれられた。また彼は夜勤だったので、誰にもばれず簡単に薬物が投与ができた。

【サマセットメディカルセンターで13人以上を殺害】

(via wikipedia)

チャールズは、事件の発覚を恐れ高齢の患者を狙った。被害者のほとんどが70代以上であり、いずれも病気で苦しんでいた。彼はその犯行の動機を、患者の苦痛を終わらせ、病院職員が彼らを非人道的に扱うことを防ぐためだったとしている。

彼は罪を認めて捜査に全面的協力することを条件に、死刑をまぬがれた。そして懲役397年を言い渡され、事実上の終身刑となった。

3.英雄になるため患者を殺めた。リチャード・アンジェロ


リチャードは看護師として働く前に、ボランティア消防士をしていた経験があり、その際にヒーローとして尊敬されることに快感を抱いていた。彼は看護師になってから失われたその欲求を満たすため、37人の患者に安楽死用の筋弛緩薬パンクロニウムを注射した。

リチャードは薬の投与後に、患者が心臓発作を起こすまで待機し、患者の急変に駆けつけた同僚たちの前で蘇生を行ってみせ、同僚からの称賛を求めた。

リチャードが毒物を投与した患者37人のうち25人が死亡したとされている。だが彼の犯罪行為が立証されたのは8件のみであり、懲役刑は50年になった。判決時、既に彼は56歳だったので、実質的には終身刑に等しい量刑であった。

4.ドイツ史上最大級の死者を出した連続殺人犯、ステファン・レッテル

【ステファン・レッテル、1978年生まれ】

(via Murderpedia)

ステファンは、バイエルン州の病院で2003年から一年の間に、少なくとも29人を殺害したとされている。この犠牲者数は、WWⅡ以降の連続殺人犯によるものとしてドイツ最大とされている。

これに加え、彼が病院に勤め始めてから80人以上の患者の不審死が相次いでいたことから、立証されていない殺人の余罪が相当数あると思われる。彼の殺害した患者はその多くが75歳以上であったから、死亡時に少しおかしな点があっても見過ごされていた。

そのため、ステファンへの疑惑が浮上した時には、既に多くの患者の遺体が火葬され、証拠は消滅していた。

ステファンの主な殺害方法は、動物の安楽死に使われる筋弛緩薬スキサメトニウムを用いた薬物注射であった。彼の自宅には、病院から盗んだスキサメトニウムなどの薬物が大量に見つかっている。

ステファンはその動機について、病気の患者の苦痛を終わらせ、楽にしてあげたいという思いからしたと話している。だが病院職員によれば、患者の全員が重篤な病気であったわけではなく、回復して容体が安定し、退院間近の患者もいたそうだ。

ステファンは殺人12件、故殺15件(殺意のない殺人)、安楽死1件の罪で有罪判決を受け、終身刑の判決を受けた。

5.乳幼児殺しのジェニーン・ジョーンズ

【ジェニーン・ジョーンズ、1950年生まれ】

(via wikipedia)

二児の母であるジェニーンは、他の看護師と同様に筋弛緩薬の注射で患者を殺害した。だが彼女は年寄りを狙わずに、もっぱら乳幼児の命を奪ったのである。

ジェニーンはテキサス州にある小児科の准看護師として働いていたが、彼女のシフトのときだけ非常に乳幼児の死亡率が高かった。彼女の勤務時間帯は「死のシフト」と周囲の職員から言われるほどだった。

何かまずいことが起きていると察した病院側は、訴訟を恐れて、ジョーンズを含めた准看護師を全員解雇し、代わりに信頼のおける正看護師のみに変更した。

解雇されたジェニーンは、まもなく近くの小児科病院に新しい職を見つけた。だがここで、彼女は6人の子どもに毒を盛ったとして告訴されることになった。

逮捕後の尋問で、彼女は殺害の動機について、この小児科病院の地元に、小児集中治療室を設立する助けをしたかったからだと主張した。

病院側の証拠隠滅があったため、ジェニーンは殺人と殺人未遂のそれぞれ1件だけしか立件されなかった。実際に犠牲になった子どもは、60人に上る可能性がある。ジェニーンはこれらの罪で159年の禁固刑となった。

6.ラインツの死の天使たち

(via altereddimensions)

看護助手であったこの4人は、1983年~1989年に200人以上の高齢患者を殺害した疑いが持たれている。4人は、オーストリアのラインツ国立病院に勤めていた。

最初に犯罪に手を染めたのは、23歳のワルトラウトであった。彼女は77歳の精神病患者から「安楽死させて欲しい」と頼まれ、病院の許可を得ることなく勝手に致死量のモルヒネを患者の腕に注射したのである。

(via Wikimedia )

その際、ワルトラウトは生と死をコントロールする神のような全能感を覚え、楽しさを味わった。彼女はその快楽を再び味わうため、19歳のグルーバーと21歳のライドルフ、そして43歳のステファニヤを勧誘し、犯行を手伝わせた。

彼女たちが狙った犠牲者は、全員75歳以上の弱った高齢患者だった。何をされても抵抗できず、いつ死んでもおかしくなかったから選んだ。

彼女たちは最初、モルヒネを注射して殺していたが、まもなく独自の洗練された方法を編み出した。その方法とは、1人が犠牲者の頭を抱えて鼻をつまんでいる間、もう一人が犠牲者の口に水を注ぎ込んで溺死させるというものだった。

(via Deadly Women – Official Channel)

高齢患者は肺に水をためやすい傾向にあったため、犯罪の立証は難しく、患者の死後の調査でも犯行はバレなかった。このようにして死の天使と呼ばれた4人は、数々と高齢患者の命を奪っていった。

だが彼女たちの犯行も、最初の不審死から6年後に発覚することになった。居酒屋で最新の殺人について彼女たちが自慢しあっていたところを、たまたま病院の医師が耳にしたことで逮捕につながった。

逮捕後、彼女たちは49人の殺害を認めた。しかし実際の犠牲者は200人以上という疑いがある。4人は有罪判決を受けたが、2008年には全員が出所し、名前を変えて新たな生活を送っている。

7. 400人の幼児を殺害したとされるアミリア・ダイアー

【アミリア・ダイアー、1836年生まれ】


アミリアは、史上最悪の連続殺人鬼の一人である。裁判で立証された殺人は12件のみであるが、本当の犠牲者数は少なくとも400人以上とされている。そして全ての犠牲者が幼児であった。

アミリアは看護師として訓練を受けた後、結婚してない男女から産まれた望まれない子供たちを預かり、世話をする託児サービスを開始した。一括で相当額の金銭を支払えば、子どもたちに十分な衣食住の提供を保証すると宣伝していた。

だがアミリアは最初こそ預かった子どもの世話をしていたが、次第に育児放棄し始めた。騒ぎ立てる子どもにはアヘン入りのシロップを与えてだまらせた。こうして預かった子どもたちは続々と餓死していった。

そしてまもなく、アミリアは親からお金だけを受け取って、預かった子どもの世話をせずに、首を絞めて殺すようになった。7年もの間、彼女の犯行はバレなかったが、死亡証明のため彼女の託児所に訪れた医師が不審な点に気づき、それが逮捕へとつながった。

しかしアミリアは殺人ではなく、育児放棄の罪で裁かれただけで、懲罰は6ヶ月の重労働のみであった。アミリアはその刑期を終えると、偽名を使って再び同じ託児サービスを開始した。だが今度は同じ失敗を繰り返さないよう、子どもの死亡を医者に知らせず、殺した子どもは川の中に処分した。

アミリアの犯罪が再び明るみになったのは、15年後に小包に入った女の子の赤ちゃんが川で見つかったときだった。彼女は裁判で、心神喪失あったとして無罪を主張したが、それが認められることはなく、12名の幼児の命を奪った罪で首吊り刑を宣告された。

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雑学

Posted by uti