無実の死刑囚が処刑前に食べた最後の食事

死刑が執行されたものの、後に無罪と判明した人たちの最後の晩餐をご紹介しよう。日本では見られないが、海外の多くの国では死刑執行前に死刑囚が最後に食べたいものを選択できるようになっている。

1.レオ・ジョーンズ(1998年に電気椅子による処刑)

【レオ・ジョーンズの最後の食事】

(via Amnesty International)

ステーキ、目玉焼き、じゃがいも、トースト4枚

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【レオ・ジョーンズ(享年47歳)】

(via murderpedia)

警察官に殴打され、自白を強要されたレオ・ジョーンズは、警官のトーマス・スザフランスキーを殺害した罪を負うことになった。殺害されたトーマスはパトカーに乗車中、スナイパーライフルで頭を撃ち抜かれた。

(via piqsels)

レオは以前から警察に目をつけられていた。過去に警官に暴力をふるったことがあったからだ。レオを逮捕した警官は「こいつをぶん殴ってやった」とうれしそうに自慢していた。

レオは12時間に及ぶ取り調べの間、警官たちに殴られ、ロシアンルーレットでお前を殺すつもりだと脅された。レオは身の危険を感じて自白せざるを得なかった。

(via pixabay)

その後、レオは自白を撤回した。また数十人の目撃者が、殺人犯は別の男だと証言したが、レオの処刑を止めることはできなかった。

2.デビッド・スペンス(1997年、薬物注射による処刑)

【デビッド・スペンスの最後の食事】

(via Amnesty International)

フライドチキン、フライドポテト、お茶、コーヒー、チョコレートアイス、コカコーラ

【デビッド・スペンス(享年40歳)】

(via historycollection)

1982年、テキサス州のワコ湖周辺で少年少女3人の殺害された遺体が見つかった。事件の目撃者は存在せず、捜査は難航した。捜査は打ち切られる予定だったが、この事件に個人的な関心を持っていたシモンズ刑事が捜査に乗り出した。

しかし彼のせいで、無実のデビッド・スペンスが処刑されることになった。

【デビッドを死刑に導いたシモンズ刑事(中央)】

(via texasmonthly)

シモンズ刑事は、地元のコンビニ店主ムニールが従業員のゲイルに多額の生命保険をかけていたことを知った。そしてムニールが、デビッドを含む3人を殺し屋として雇い、ゲイルを殺させたと考えた。

【犠牲になった少年1人、少女2人】

(via allofworld)

しかし殺された3人の中に、従業員のゲイルはいなかった。それでもシモンズ刑事がこの主張を押し通したのは、殺された少女の1人とゲイルの顔がかなり似ていたからだ。

殺し屋のデビッドらは、ゲイルを殺すつもりだったが、顔の似ていた少女を間違って殺害した。本来なら殺害するのは少女1人でよかったはずだが、殺人現場を目撃した2人も道連れにしたのだろうと、シモンズ刑事は主張した。

【刑務所に収容されるデビッド】

(via wacotrib)

事件に関わった4人は逮捕されたが、殺人を結びつける物証は何も無かった。唯一の証拠は、デビッドが収監されたときに会話した囚人たちの証言だけだった。囚人たちが言うには、デビッドと雑談しているときに殺人への関与をうっかり口にしたという。

だが後に、囚人たちはこの発言が嘘だったことを認めている。軽い量刑にする代わり、証言をでっちあげるよう検察官に言われたと打ち明けたのだ。

また遺体の皮膚には、重要な証拠となりうる歯型が残っていた。裁判では、この歯型がデビッドのものと一致したと主張された。

しかし後の司法歯科医の調査で、デビッドどころか共犯者3人の中にも歯型が一致する人物はいなかった。

【刑務所の薬物注射室】

(via wikimedia)

デビッドは最後まで無実を訴え続けたが、1997年4月に薬物注射で処刑された。一方、店主のムニールは無罪となり、共犯者とされた2人も自白する代わりとして、終身刑に減刑された。

3.ルーベン・カントゥ(1993年、薬物注射による処刑)

【ルーベンの最後の食事】

(via Amnesty International)

フライドチキンとご飯

【ルーベン・カントゥ(享年17歳)】

(via wikimedia)

1984年11月、ルーベンは共犯者のデビッドと共に工事中の建物に侵入し、そこに寝ていた2人の作業員を銃撃、金品を強奪した罪で死刑判決を受けた。

(via piqsels)

撃たれた作業員のうち1人が死亡、もう1人の作業員ジュアンは一命をとりとめた。刑事は病床のジュアンを訪れ、ルーベンを含む複数の容疑者の写真を見せた。ジュアンは犯人を目撃していたが、その中に犯人がいないことを確信していた。

捜査は行き詰まり、事件は迷宮入りすると思われた。しかしルーベンがバーでの喧嘩の末、私服警官を銃撃する事件を起こした。その警官は死ななかった。

これが警察の恨みを買い、強盗殺人の件でルーベンの再調査が始まった。刑事は被害者のジュアンを警察署につれていき、再びルーベンを含む複数の容疑者の写真を見せた。今度は不法移民であったジュアンに、アメリカに滞在できなくなるように脅しをかけた。

ジュアンは刑事の圧力に押され、ルーベンが襲撃者の一人だったと認めた。この偽りの証言によって、ルーベンは死刑判決を言い渡された。

4.クロード・ジョーンズ(2000年、薬物注射による処刑)

【クロードの最後の食事】

(via Amnesty International)

ステーキ、目玉焼き8つ、ジャムトースト6つ、ソーセージ

【クロード・ジョーンズ(享年60歳)】

(via cleveland)

クロードは、1989年11月にテキサス州の酒屋を襲撃し、店主を殺害した罪で死刑になった。事件当時、酒屋と道路を挟んで向かいにいた目撃者は、殺人犯の顔を見ていなかった。

だがクロードとその共犯者2人に容疑がかけられた。

クロードは容疑を否定したが、共犯者の2人はクロードが実行犯として店主を撃ったと証言し、罪を押し付けた。唯一の物証は、事故現場に落ちていた髪の毛だった。これがクロードの物だと決定づけられ、有罪判決を受けた。

(via wikipedia)

髪の毛は、DNAを照合すれば容易に誰のものか特定できる。しかし1990年当時、DNA解析は発展途上にあり、その方法は不可能だった。

(via publicdomainpictures)

死刑執行が予定された2000年、弁護人は既に実現可能な技術であったDNA検査を求めて裁判所に訴えを出した。しかし棄却され、予定通りクロードの処刑は執行された。

それから10年後、DNA検査が行われ、事故現場の毛髪はクロードのものではなく、犠牲者のものだと判明した。

5.キャメロン・トッド・ウィリンガム(2004年に薬物注射による処刑)

【キャメロンの最後の食事】

(via Amnesty International)

テイタートッツ(すりおろしジャガイモを揚げた物)、スペアリブ、エンチラーダ(トウモロコシのトルティーヤに肉やチーズを詰め込んで巻いたもの)、オニオンリング、パイ2枚

【キャメロン・トッド・ウィリンガム(享年36歳)】

(via wikimedia)

1991年、テキサス州のキャメロン・ウィリンガムの自宅で火事が発生し、自宅にいた3人の娘が亡くなった。そのとき娘たちと一緒にいたキャメロンは軽い怪我を負ったが、辛うじて助かった。

【家族写真】

(via nydailynews)

この火事は、故意に引き起こされたものだとする疑惑が持ち上がった。家の焼け跡からライターオイルのような燃焼促進剤を使用した痕が見つかったためだ。

検察側は、その液体が自宅3箇所にバラまかれたと主張したが、臨床試験で確証が得られたのは玄関先だけだった。

また検察側はその動機に関して、娘たちの虐待を隠すための放火であったと主張。しかしキャメロンの妻は「夫が子どもたちに虐待したことは一度もなく、むしろかなり甘やかしていた」と証言した。

(via camerontoddwillingham)

キャメロンは裁判のあいだに、罪を認めれば終身刑に減刑するという交渉を受けていたが、それを断り、死刑判決を受けた。キャメロンは最後まで無罪を主張し続けた。しかし2004年に薬殺刑が執行された。

専門家らによる調査で、放火の証拠は無いことが判明

処刑直前の2004年、火災科学の専門家が調査を行った。その結果、燃焼促進剤が放火に使われたとする証拠はきわめて疑わしいものであると結論づけられた。

玄関先に液体の燃焼物があったことは間違いなかった。しかしこれは、自宅玄関に置いてあったグリル用の着火オイルであり、消火時の放水でまきちらされた可能性が高いとされた。

また彼の処刑から5年後に再び科学捜査が行われているが、最後まで放火の証拠は見つからなかった。そして有罪を決定させる要因となった重要な証言も、検察官によって誘導されたものであったと証言者がばらしている。

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Posted by uti