海外の身も凍る怖い実話16選

2018年4月19日

1

(via izismile)

2015年、カナダのトロントに住むカップルが、眠りに落ちる前にベッドでネットフリックスを見ていた。そのときは何もおかしなことはなかったのだが、次の日の朝、その女性は恐ろしい体験をすることになった。

朝起きてFacebookを見てみると、全く見知らぬ人から複数のメッセージが届いていた。その中には、昨日の夜一緒にベッドで寝ていた男性との写真が複数枚入っていたのだ。

2

(via CannabuzzFeed)

2002年、15歳の少年が9.11同時多発テロに触発されて飛行機を盗み、フロリダ・タンパの超高層ビルに激突した。

ビル内には40人近くいたが全員無事で、飛行機は爆発することなく一部屋に損害を与えただけだった。死亡者は唯一、テロリストのまねごとをした少年だけだった。

3

(via Chert-poberi)

写真にうつる男性は、7体の人形と一緒にこの写真を撮った数日後、亡くなった。男性の遺体は自室で見つかったものの、死因を特定することは出来なかった。

そしてなぜか、彼の所有物であった人形たちはどこかに消え、最後まで見つかることは無かった。

4

(via snappypixels)

1932年5月17日、ニューヨーク出身のドミニック・カルギが亡くなった。この写真は彼が亡くなる前に撮ったもので、彼の隣には車が写っていた。

この写真には、恐ろしい偶然が起きていた。

車のナンバープレートが、彼の亡くなる日を予言していたのだ。ナンバープレートには5V・17・32と書かれており、アルファベットを除くと5・17・32。

アメリカ式の日付表記は月、日、年の順番であるから、1932年5月17日となり、彼の死亡日と一致したのだ。

5

(via Unbelievable Facts)

1840年に生まれたラモン・アルティゲヴティアは、ウルグアイ出身の裕福な農家だった。

1871年、ラモンはアメリカ号という船に乗り、そこで火事に見舞われた。沈みゆく船の中で彼は命からがら船から飛び出し、近くの海岸まで泳ぎきって危機を乗り越えた。

それ以来、彼は船が怖くて30年以上乗ろうとしなかったが、恐怖を克服するために他の船に乗る事をついに決意した。

だが不運なことに、その船は沈み、ラモンは溺れ死んだ。その船こそ、史上最悪の海難事故を起こしたタイタニックだった。

6

(via BuzzHand)

1912年、四歳の男の子ボビー・ダンバー君が家族旅行中に行方不明になった。8ヶ月後、ボビー君は発見され、家族との再会を果たした。

だがこの事件から100年後にDNA検査を行った結果、衝撃の事実が明らかになった。

発見された子どもはボビー君でなかったのだ。本物のボビー・ダンバー君がどこに行ってしまったのかは、今や知る手がかりは無い。

7

(via joyreactor)

1940年、ソビエトの科学者セルゲイ・ブルコネンコは、オートジェクターという装置を使って死んだ犬の頭を生き返らせることに成功した。

彼はこの犬が生きていることを証明するため、観衆の眼の前で、テーブルの上に乗った頭だけの犬に刺激を与えてみせた。

彼がテーブルをハンマーで叩くと、犬は驚いたように動いた。目を光に当てれば、まばたきをした。チーズをひとかけら与えれば、それを食べたが、反対側の食道からすぐに出したという。

8

(via Unbelievable Facts)

1963年に生を受けたジューンとジェニファーの双子は、二人の間だけで伝わる言語を話し、他の人と会話をしなかったため、「無言の双子」と言われた。

二人は成長するにつれ、共謀して放火などの罪を犯すようになった。補導された二人は、警備の厳重な精神病院に収容されることになり、そこで14年間を過ごした。

退院後、二人はどちらかが死ななければ普通の生活には戻れないと考え、長い話し合いの末、ジェニファーが犠牲になることになった。

二人が決意してからまもなく、ジェニファーは心筋炎で29歳の若さにして亡くなった。ジューンが殺したのかと思われたが、検死の結果では毒物や薬は全く発見されなかった。彼女の死は未だ謎に包まれている。

9

(via nursemyra)

1922年、農家のアンドレアス・グルーバーは近所の人に、「近くの森から自分の農場まで誰かの足跡が雪上に残っていた」という話をした。

奇妙なことに、誰かが農場まで来たようだったが、農場を訪れた人はおらず、農場から戻ったような足跡も無かった。

それから数日して、アンドレアスは屋根裏で足音を聞き、農場のカギが無くなったことを友達に語っていた。

その話をした2~3日後、アンドレアスとその家族4人、そして使用人までもが、殺害された状態で発見された。凶器はツルハシとされている。

多額の懸賞金が掛けられたが、犯人は捕まることなく、90年以上経った現在でもこの事件は解決されていない。

10

(via Cyber Breeze)

ジョセフ・メセニーはアメリカ・ボルチモア出身の連続殺人犯であり、1990年代に少なくとも2人を殺害した罪で終身刑を言い渡されていた。それ以前にも8人を殺害した容疑がかけられている。

ジョセフは殺人を行うだけでなく、その肉を豚肉と混ぜ込み、ハンバーガーとして移動式店舗で販売していた。

彼は「豚肉と人間の肉を混ぜてしまえば、誰もその違いは分からない」と語っていた。その他の殺人容疑については証拠が見つからないまま、ジョセフ受刑者(62歳)は2017年に刑務所で亡くなった。

11

(via Toronto Star)

2000年代半ば、タイに住む小児性愛の男が、自分の写真をオンライン上で複数枚公開していたが、編集ツールで顔にうずまきをかけ、顔の特定ができないようにしていた。

それゆえ彼は渦巻き顔の男と呼ばれ、気味悪がられていた。2007年、国際犯罪を取り締まるICPOが写真のうずまきを解析し、男を特定した(左側写真)。男はその後逮捕され、19年の懲役刑を受けることになった。

12

(via crimelibrary)

テッド・バンディは、30人以上の女性を殺害した史上最も悪名高い連続殺人犯である。

彼はその残虐さに反して、溺れている子どもを助け、窃盗犯から女性の財布を回収し、自殺防止ホットラインで働いていたこともあった。

13

(via thechive)

この写真の撮影直後、赤い車は爆発し、写真の撮影者を含め29人の命が奪われた。しかしこの写真にうつった親子は、爆発から生還している。

14

(via pinterest)

母親が息子の写真を撮った。写真を見てみると、息子の背後には見たこともない男がいた。

15

(via The Sun)

「箱の中の少年」と名付けられた4~6歳とされる男の子は、未だ身元の特定がされていない殺人事件の犠牲者だ。

1957年2月アメリカのフィラデルフィアで、その遺体はダンボールの中に見つかった。頭に複数の打撲痕があり、全裸だった。

警察は最初、少年の親が行方不明の届けを出すか、あるいはメディアの報道によって子どもの身元と犯人は時を置かずに特定できるだろうと考えていた。

しかし、亡くなった少年と合致する行方不明届けは一つとして出されることはなく、数千におよぶ手がかりも、全て無に帰した。現在でも、少年の名前すら分かっていない。

16

(via Collinwood School Fire )

これはアメリカ・コリンウッドの小学校で撮影された最後の写真だ。

この写真を撮った後まもなく、1908年3月4日のことだが、学校は炎に包まれ、172名の生徒と2名の教師、1名の救助隊員が亡くなった。

出火元は天井の梁であり、近くにあった蒸気管から引火したとされる。

火事の最中、炎で避難路はふさがれ、廊下で多くの犠牲者が閉じ込められた。パニックに陥った人々は、2階や3階から飛び降りたが、誰も助からなかった。

この写真にうつっている人達はただ一人を除いて、全員が死亡した。生存したのは、一番奥の右端に座っているオルソン氏のみであった。

彼以外は二重写しになっているが、どうしてこのように写ってしまったのかは分かっていない。

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Posted by uti