いわくつきの買い手がつかない島5つ
格安で島のオーナーになれる夢のような話がある。だが様々な事情があって買い手がついてない。今回は、何らかの問題を抱えている「いわくつきの島」を5つご紹介していこう。
1.ポヴェーリア
(via Backpacker Travel)
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ポヴェーリアは、イタリアの観光都市ベネチアから数kmほどで立地が良く、3世紀頃からの古い歴史が残っている島だ。島は3つの区画に分けられ、教会、精神科病院、12世紀の鐘楼の廃墟が建ち並び、それらのなす美しい景観は写真に映える。
(via Google map)
だがここは、世界でも有数の呪われたスポットとして知られている。ポヴェーリアは、中世ヨーロッパでまん延したペスト感染者の隔離所であり、何千もの感染患者がここで最後を迎えた。そしてその遺体は集団墓地へ遺棄された。
(via be amazed)
1920年代には、その隔離所は精神病院に転用されたが、その閉鎖性ゆえに虐待や非人間的な医療行為が行われていたという。医者がその責任をとるために、鐘楼から飛び降り自殺したという話もある。そして1968年の病院閉鎖にともない、この島は放棄された。
(via be amazed)
それ以来、島の売買は3回行われている。最初の2人のオーナーは、不可解で恐ろしい者を目撃したため手放してしまった。3人目の実業家は、観光スポットへ一新するため、2014年に5500万円で99年間のリース契約を結ぶ予定だったが、地元の圧力などで取り消しになった。
2.ゲッターズ島
(via Google map)
(via WFMZ)
ペンシルバニア州・イーストンの町から数百mしか離れていない利便性の良い島であり、売値は1500万円ほどと格安なのだが、買い手は付いていない。その原因は、チャールズ・ゲッターの幽霊がこの島に現れると噂されているからだ。
チャールズは妊婦であった妻のマーガレット・ラウォルを殺害した。この事件の裁判は、裁判官の判決が下るまで10分を要さなかった。
チャールズは公開の首吊り刑となったのだ。その処刑場所に選ばれたのがこの島だった。彼の死にゆく姿は、イーストンの川岸に集まった観客2万人に晒された。
不幸なことに、処刑は予定通りに行かなかった。一度目は、首のロープが切れてしまった。チャールズは床に落下し、処刑までの再準備が終わる20分間を恐怖の中で待っていなければならなかった。そして彼は、2度目でついに息絶えた。
3.リトル・ロッキー島
(via The Telegraph)
カナダ・ノバスコシア州の海岸から数百mのところにあって、売値は820万円ほどの小島である。3.2万平米の敷地には、マツが密生し、海岸には白い砂浜がある。
天候は荒れにくく、冬は平均気温マイナス8℃と非常に寒いが、夏は8月の平均気温が16℃で、とても涼しく過ごしやすい。また島内には建物が一軒もないので、購入すれば好きなように開発できる。
だがこの島には、ちょっとした問題がある。実は満潮時にしか島でないのだ。潮が引いていくと、ノバスコシアの本土へとつながる砂浜が現れる。
(via be amazed)
割安な値段で売られていたのは、リトルロッキー島が部分的な島だったからだ。でもボートなしで、この島にたどり着けるようになったと考えるなら、メリットともいえるだろう。
4.ダクサ島
(via Wikipedija)
(via googlemap)
クロアチアのアドリア海に浮かぶ面積7万平米のダクサ島は、13世紀に建てられたフランシスコ修道院、そしてプライベートビーチまでついて約2.5億円である。地中海有数の観光都市であるドゥブロヴニクからも、この島を見渡すことができ、数百mほど離れてるだけだ。
それでも3年以上買い手がつかないのは、かつてのダクサ大量虐殺が原因である。第二次世界大戦中の1944年に起きたこの虐殺は、ユーゴスラビア人民解放軍が48人あるいは53人の枢軸国支持者とされる市民を殺害した。
解放軍はドゥブロヴニクに侵入すると、300人の市民を集め、ナチスの支持者とみなした市民をダクサ島に連行し、裁判を経ることなく処刑した。市民の遺体は埋葬されることなく、数十年に渡ってこの島に遺棄されていた。
2010年になってようやく遺体は埋葬されたが、現在でも正義を求めて処刑者の霊がさまよっているという噂が立つ。
5.ガイオラ島
(via Antonio Manfredonio)
ナポリの海岸からひと泳ぎでたどり着くガイオラ島は、古代ローマ時代の遺跡が残る絵葉書に載せたくなる美しい島だ。しかし19世紀に建てられた別荘が廃墟となり、誰も手を付けられなくなったのは、その恐ろしい呪いのせいである。
(via wikimedia)
その呪いを一つずつご紹介していこう。
1920年代に初めてオーナーとなったスイス人のハンス・ブラウンは、じゅうたんに巻かれて死んでいるところを発見された。その後まもなく、彼の妻は溺死している。
2番目のオーナーはドイツ人のオットー・グランバックで、ガイオラ島の別荘に滞在中、心臓発作で亡くなった。3番目のオーナーは、スイスの精神病棟で自殺、4番目はドイツ人の鉄鋼業界実業家であったが、最終的に破産者となった。
(via Google map)
そして次はフィアットの元会長ジャンニ・アニェッリであった。不幸は彼の周りで起き、息子は橋の下で自殺、甥はかなり珍しいタイプの癌にかかり、33歳の若さで亡くなった。
また次の所有者である石油王のJポール・ゲッティは、カリブ海のマフィアに息子が誘拐され、息子の片耳が削ぎ取られてポストに投入された。ゲッティは身代金3億円を支払うことになった。最後のオーナーとなったギアンパスクァーレも、牢獄入りしている。
参照:beamazed
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