史上最大規模の泥棒・ランキング10(窃盗額順位)

2019年4月19日

これまでに起こった窃盗事件の中で、被害額の大きいケースをランキングでご紹介していこう。

10.ハリー・ウィンストン(パリ) 120億円

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2008年、最高級宝飾品ブランドとして知られるハリー・ウィンストンに、4人の武装した強盗が押し入った。そのうち3人はウィッグをかぶり、ヒールを履いて女装をしていた。

彼らはディスプレイされた宝飾品を空っぽにすると、それでは飽き足らず、今度は職員を宝石の保管庫に案内させ、店内のあらゆる貴重品を奪っていった。その被害額は120億円に上った。

この事件が報道されると、ハリーウィンストン社の株価は9%下落した。不幸なことに、昨年にもここの店舗で強盗事件が発生しており、12億円の被害にあったばかりだった。

そしてこの武装強盗らは、国際犯罪組織であるピンクパンサーの一員とされている。200名を超えるピンクパンサーのメンバーは、ヨーロッパを拠点に世界各地でダイヤなどの宝石の窃盗を繰り返しており、これまでの窃盗額は560億円以上とされる。

犯行に関わった22~67歳の25人は逮捕されている。しかし盗まれた宝石は一部しか回収できていない。

9.ナイツブリッジ貸し金庫 194億円

【主犯格のヴァレリオ・ヴィセイ】

(via listverse)

1987年、ロンドンのナイツブリッジ貸し金庫で盗みを働いたヴァレリオ・ヴィセイは、既にイタリアで50件の武装強盗の容疑がかけられ、指名手配されていた。ヴァレリオは出身地のイタリアで犯行を重ねた後、1986年にロンドンへ住居を移し、そこで再び犯罪に手を染めたのだった。

ヴァレリオは共謀者とともにナイツブリッジ貸し金庫施設を訪れ、貸し金庫のレンタルを申しこんだ。そして金庫へと案内されるやいなや、拳銃を取り出し、警備員とマネージャーを制圧した。

ヴァレリオらは誰かの邪魔が入らないよう、貸し金庫施設のエントランスに一時閉鎖の看板を貼り付け、そのエントランスから別の共謀者たちを中に入れた。彼らは貸し金庫を荒らし、現在の価値で194億円もの現金を略奪していった。

まもなく共犯者は逮捕された。一方でヴァレリオはラテンアメリカへの逃亡に成功していた。だが愚かなことに、お気に入りのマイカーであるフェラーリをロンドンから持ってこようと渡航した際に逮捕され、22年の懲役刑を受けることになった。

ヴァレリオは2000年に刑期を終えて出所したが、共謀者らと警察の銃撃戦に巻き込まれ、出所当日に死亡した。

8. 中東イギリス銀行 230億円

(via News)

1976年、レバノンの最大都市ベイルートは、内戦の真っ只中にあった。パレスチナ解放機構のメンバーは、この混乱に乗じて中東イギリス銀行からお金を奪取しようともくろんだ。

同年1月、彼らはこの銀行と壁を共有した隣の教会を爆破。コルシカ人の錠前師に手を貸してもらい、銀行の金庫の解錠に成功した。金庫の中には、金の延べ棒や現金、株、宝石があり、その総額は現在の価値で230億円になった。略奪品があまりにも多かったため、国外に脱出する前にトラックで貨物飛行機に輸送しなければならないほどだった。

7.ハットンガーデン貸し金庫 251億円

【貸し金庫の入り口】

(via wikipedia)

ロンドンのハットンガーデン地区は、古くから宝石商やダイヤの取引業者が拠点を置いている。そのため、この地域の貸し金庫には、大量の宝石が預け入れされていた。

2015年4月、年金生活者の高齢強盗4人がこの貸し金庫に侵入した。彼らは停止させたエレベーターシャフトから懸垂降下し、地下にたどり着くと、ダイヤモンドドリルで厚さ180cmの鉄筋コンクリートに穴を開け、金庫まで到達した。犯行は2日間におよんだが、彼らは警報システムを解除する術を知っていたため、その間警察に発覚することはなかった。

【この穴に体をねじ込み侵入した】

(via Channel 4 News)

それからまもなくして強盗犯らは逮捕されたが、盗まれた金品のうち2/3しか回収できていない。

6.ダルエスサラーム銀行  315億円

(via Pixabay)

2007年6月、イラク・バクダットの民間銀行で315億円分のドル紙幣が盗まれる事件が起きた。盗んだとされる犯人は、銀行の警備員らである。従業員が朝に出勤したところ、銀行の玄関が施錠されておらず、金庫の現金が全て無くなっていたことに気づいた。

そして寝泊まりしていたはずの銀行の警備員3人がおらず、その後行方不明のままになっている。当局によれば、警備員のほかに地元の民兵がこの事件に関わっている可能性が高いという。その当時、バクダットには多くの検問所があり、貨物検査なしに通り抜けることは難しかったためだ。

5.市債強盗  370億円

(via Pixabay)

1990年のある夜のこと、イングランド銀行から短期国債と定期預金証書を輸送していた男性(58歳)に、刃物が突きつけられた。その刃物を持った男は合計301枚の証券を奪い取って逃げた。それらの証券は、権利者名を記入しない無記名式であったため、現金化しやすかった。

後にこの事件に関わった5人が逮捕されたが、そのうち4人は証拠不十分で無罪となり、残りの1人は罪を負うことなく、銃殺体として発見された。ロンドン警察とFBIは、盗まれた証券の回収に務めたが、301枚のうち2枚しか取り戻すことができなかった。おそらく残りは、資金洗浄され、きれいな資金に変えられたと考えられている。

4.ガードナー美術館 560億円

(via Wikimedia )

1990年3月18日、ボストンのガードナー美術館で総額560億円に達する絵画が盗まれた。犯人の2人の男は、警察を装って警備員のいる美術館に入り、警備員を縛り上げて犯行に及んだ。

【盗難された絵画の中で最も価値が高い作品:合奏】

(via wikipedia)

盗まれた作品の中には、世界に34つしか残されていないフェルメールの作品のひとつである「合奏」があり、その価値は200億円以上と見積もられている。このほか、レンブラントが描いた唯一の海洋絵画である「ガラリアの海の嵐」など非常に貴重な作品が多くあった。

美術館側は、逮捕につながる情報提供者に5億円を支払うと申し出ているが、現在でも絵画は見つかっていない。2017年以降は、犯人の懸賞金は10億円で、元の2倍になっている。

【盗まれた作品は、フレームだけが展示されている】

(via wikipedia)

FBIによれば、2000年台に盗難絵画は売りに出されたことがあるという。また犯人は中部大西洋岸あるいはニューイングランドを拠点に置く犯罪組織である可能性が高いとしている。

3.ロシア人ハッカー 1120億円

(via Pixabay)

2014年~2016年の間に、ロシア人のハッカーグループであるカーナバックが、世界中の銀行から最大10億ドル(1120億円)を詐取した。ハッカーらは銀行の従業員などに、なりすましメール(フィッシング)を送りつけ、従業員がその添付メールを開くことで銀行のシステムを書き換えられるプログラムを製作した。

そのプログラムによって、ATMからハッカーの架空口座へ自由に銀行の資金を移動させることができた。また決まった時間に、ATMからお金が振り込まれるようにするプログラムもあったという。また彼らは、口座の残高が減ると犯罪行為がばれやすくなるため、銀行のデーターベースを操作し、移動した金額分を補填していた。

ハッキンググループは、犯罪の発覚を遅らせるため、一つの銀行で10億円以上の詐取を行わなかった。一定の金額になると、次の銀行へ標的を定めた。このようにして、世界30カ国で100以上の銀行に被害を与えた。

2.サダム・フセイン 1120億円

(via thechive)

2003年、イラク大統領であったサダム・フセインは、イラク戦争が開始する数時間前に、息子と側近に10億ドル(約1100億円)もの現金をイラク中央銀行から引き出すよう命じた。サダムは大統領という権威を利用して、亡命前に中央銀行に存在する現金通貨の1/4をこっそりと手に入れたのである。この事件は、史上最も被害額の多い銀行強盗とされている。

銀行の金庫から1000万枚もの100ドル札が引き出され、その紙幣は2時間かけて3台のトラックに山積みにされて持ち出された。

後にアメリカ軍はサダム邸宅の壁中に、6.5億ドル分の盗まれた現金を発見している。サダムは逮捕後に死刑が執行され、息子は殺害されたが、残りの3.5億ドルはいまだに回収されていない。

1.ステファン・ブライトウィザー 1570億円

(via wikimedia)

フランス人のステファンは、史上最も多くの美術品を泥棒した人物である。1995年~2001年までに、レストランのウェイターとして働きながら、ヨーロッパ中の172の美術館から239作品を盗んだ。その被害額は140億ドル(1570億円)に上る。

ステファンはガールフレンドど共謀し、彼女に見張りをさせ、その間に美術品を壁から取り外してジャケットにしまいこんだ。彼女は誰かが来た時に、咳をしてステファンに知らせた。この方法で、6年以上に渡って少なくとも170館で窃盗を繰り返した。

彼の窃盗した作品の中で最も価値が高いとされたのは、ドイツ・ザクセン王国の君主ヨハン・フリードリヒの妃を描いたジビュレで、7.3~8.6億円だった。

【盗難された作品で最も価値が高い、ジビュレ】

(via Hybridtechcar)

普通の美術品泥棒とは違った

ステファンは、一般的の美術品泥棒と異なり、作品を売ることはなかった。自称、美術通としてアートを楽しむために、自宅にコレクションしていたという。実際に盗んだ作品の多くは、彼の寝室に保管されていた。

だが2001年の逮捕後、それらの作品の半分以上は失われてしまっている。ステファンがスイスの美術館で逮捕されたと聞いた母親が、証拠隠滅のために作品の多くを破壊してしまったからだ。

ステファンとその母親、ガールフレンドは有罪判決を受けたが、いづれも3年の懲役刑のみだった。

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雑学

Posted by uti