現実となった驚くべき予言・8個

2019年4月25日

月面着陸や原子爆弾の発明、ロンドンの大火災など、印象的な予言的中をご紹介していこう。

1.タイタニックの沈没事故を予言していたモーガン・ロバートソン

(via wikipedia)

スポンサーリンク


1898年、アメリカ人作家モーガン・ロバートソンは、中編小説「タイタンの遭難、あるいは愚行」を出版した。その小説は、タイタンという豪華客船が巨大な氷河に衝突し、北大西洋沖で沈没するフィクションだった。

客船の名前こそ違うが、この物語とよく似た海難事故が14年後に起きた。それは、1500人以上の死者を出したタイタニック号沈没だった。

【タイタニック号】

(via wikimedia)

どちらも北大西洋で起きたこれらの事故は、客船の大きさ、その速度まで似通っていた。そしてどちらも4月に事故が発生し、半分以上の乗客と船員の命が失われ、ライフボートの数が極端に少ないのも同じだった。

驚くべきことに、ロバートソンがこの小説を書いていた時、タイタニック建造の考案さえされていなかった。ロバートソンは千里眼の持ち主だと報道されることもあったが、彼はこれを否定していた。彼は当時、海運・海事に関する幅広い知識を持っていたので、このような事故は予想しうるものだったとしている。

2.原子爆弾を予言したH.G.ウェルズ

(via pixabay)

ハリウッド映画にもなっている小説『宇宙戦争(1898年)』、『タイムマシン(1895年)』の著作者として知られるH.G.ウェルズは、WWⅡの真っ只中であった人々でさえ予想していなかった「原子爆弾による都市の破壊」が起こると予言していた。

【長崎に投下された原子爆弾:ファットマン】

(via Wikipedia)

彼の著作『解放された世界(1914年)』では、ウランを基にした手りゅう弾が際限なく爆発すると記してあった。これらの小説をウェルズが書いた当時、彼は原子物理の本を読み込んでいて、放射性元素についてはかなり詳しい知識があったとされる。

だが将来、原子力が兵器化可能だと知る術は、当時の彼には無かった。世界初の原子爆弾が考案されたのは、彼の本が出版されてから28年後のマンハッタン計画が始まりだからだ。

【原爆投下時に観測された高さ18kmのキノコ雲(長崎)】

(via wikipedia)

マンハッタン計画は、原子爆弾であるリトルボーイとファットマンの開発・製造を導いた。この原子爆弾は広島と長崎に投下され、合計22万人以上の死者を出した。

3. 1909年にWi-Fiの誕生を予言していたニコラ・テスラ

(via wikipedia)

20世紀の偉大な発明家と知られるセルビア系アメリカ人、ニコラ・テスラは、現代の送電システムや蛍光灯など数多くの発明に寄与した人物として知られる。

1909年にニューヨーク・タイムズからインタビューを受けた際、テスラは未来の技術に関する予測や見解を話していた。彼はその取材で「いかなる個人も自分用の装置を持ち歩き、それを操作して、世界中に無線でメッセージを送ることができるようになるだろう」と語っていた。

【世界初の携帯電話(1973年)】

(via Wikimedia )

この発言はこの当時としては信じられないものだった。最初の携帯電話が製作されたのが1973年、Wi-Fiが導入されたのは1991年で、彼の発言よりずっと後のことだったからだ。

テスラはまた、スカイプなどのインターネット電話やビデオ通話を予見していたとも言われる。1926年、彼は「テレビ・電話技術を通じて、たとえ何千km離れていたとしても、まるでお互いが顔をあわせているように話せるようになるだろう」と述べていたのだ。

4.ロバート・ボイルが1660年台に予言していた臓器移植

(via Tareq Salahuddin)

ロバート・ボイル(1627~1691年)は、近代化学の祖とも言われることがあり、気体の振る舞いについて数式化したボイルの法則などが有名だ。

また当時の科学者は、仮説を論じることに重きを置いてたが、彼は実験をメインにして、実験結果から得られる知識を重要視していた。

この結果として、ボイルは数世紀先の人たちよりも幅広い科学的な展望を得ていた。1660年代、ボイルは科学の将来についての見通しを、自らの日誌に記している。そこには、「臓器移植による病気の治療が行われるようになる」とあった。

【世界初の臓器移植に成功し、ノーベル賞を受賞したジョセフ・マレー】

(via Stanford University)

この将来予測から、およそ300年後に初めて臓器移植が成功している。それは1954年のことであり、ジョセフ・マレーらが行った腎移植であった。現在、臓器移植は世界中の人々の命を救っており、毎年の実施件数は10万件以上になっている。

ボイルが予想したのはこれだけでない。彼は自分の日誌に、当時存在しなかった潜水艦や遺伝子組み換え作物、幻覚剤(ドラッグ)についても言及していた。

5.自らの死を予言していたマーク・トウェイン

(via publicdomainpictures)

アメリカを代表する作家で『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られるマーク・トウェインは、1909年に不吉な予言を自叙伝に記していた。それは「自らの死期」についてだった。

トウェインは、ハレー彗星が観測されてまもない1835年11月30日に生まれた。ハレー彗星は約75年周期で地球に最も近づき、このときに地球から肉眼で観測できるようになる。

【ハレー彗星】

(via wikipedia)

トウェインは74歳のときにこう書いた。「私は1835年、ハレー彗星とともにやってきた。来年またその彗星がやってくるが、私はそれとともに死ぬだろう」と。

これは現実のことになった。彗星が現れた次の日の1910年4月21日に、トウェインは亡くなったのである。

6.月面着陸を予言していたジュール・ヴェルヌ

(via Wikimedia )

フランスの著名な小説家ジュール・ヴェルヌは、『十五少年漂流記』や『海底二万里』などで知られ、SFの父と呼ばれている。彼は1865年にSF短編小説『月世界旅行』を書いており、それは人類が初めて月に足を踏み入れる物語であった。

それからおよそ100年後の1969年7月20日、ヴェルヌが小説で思い描いた月面着陸が現実となった。彼は、単に月面への到達を的中させたというだけでなく、その小説にはアポロ計画と類似する点が数多くあったのである。たとえば宇宙飛行士の数やロケットがフロリダから発射されたことなど。

(via Wikimedia )

また彼は小説の中で、宇宙飛行士が体験する無重力についても描写しており、当時の科学者でもよく分かっていなかったことを上手く書き表せていた。

7.ロンドン大火を予言したノストラダムス

(via wikimedia)

16世紀の医師であり占星術師であったノストラダムスは、数多くの予言を的中させている。驚くべきことに、彼の予言は死後400年以上経った後のことも言い当てている。

特に有名な予言の的中例として、1666年に起きたロンドン大火がある。この大火災は、8万戸あったロンドンの住居のうち85%以上(約7万戸)が失われ、中世都市ロンドンが焼け野原となった。

この事件については、ノストラダムスが1555年に出版した『ノストラダムスの大予言』に、「ロンドンの正義の地は失われ、66年の大火で焼き尽くされるだろう」と書いてあり、その場所や年まで完璧に当たっていた。

【マリー・アントワネットのギロチン処刑も予言】

(via wikimedia)

さらにその著書で、1789年に起きたフランス革命を予言し、恐怖政治の中でルイ16世やマリー・アントワネットなどを含む数千の人々がギロチンによって処刑されることに言及していた。

この他にもルイ・パスツールのワクチン開発、ヨーロッパにおけるヒトラーの台頭、ナポレオンのフランス制圧、原子爆弾、果てにはアメリカ同時多発テロまで予言していたと解釈する者もいる。

8.レオナルド・ダ・ヴィンチの予言

(via Wikimedia )

芸術家であり、科学者、数学者、音楽家でもあったルネサンス期の多才、レオナルド・ダ・ヴィンチは様々な分野で顕著な業績を残した。

ダ・ヴィンチは、20代後半の1480年頃から1519年に亡くなるまで、自らが考えたことをつぶさに手稿へ書き残しており、その中には現実となった発明品や技術についての創案が数多く含まれていた。

【戦車の原型とも言われるスケッチ】

(via wikipedia)

たとえば戦車が発明される400年前に、装甲型の乗り物をデザインしていた。

またダ・ヴィンチの時代から300年近く後の1797年、最初の実用的なパラシュートがアンドレ=ジャックによって発明される前から、ダ・ヴィンチはそのアイディアを持っていた。

【ダ・ヴィンチがデザインしたパラシュート】

(via Wikipedia)

ダ・ヴィンチがデザインしたパラシュートは、2000年にスカイダイバーのエイドリアン・ニコラスがテストし、上空3000mからでも使えることを証明している。彼はダヴィンチのパラシュートについて、現代のパラシュートよりも9倍重いため、よりスムーズに進めたが、着陸時のケガの危険性が高いと話している。

【ダ・ヴィンチのパラシュートを再現】

(via SwissInfo)

スポンサーリンク



雑学

Posted by uti