世界の終末のよう。人類が生き延びた恐るべき大災害6つ
私たち人類が過去に乗り越えてきた史上最悪の世界的災害をご紹介していこう。全6つ。
1.黒死病(ペスト) 死者数1億人
(via wikipedia)
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黒死病は人類に最も大きな被害を与えた伝染病とも言われる。感染源は、ペスト菌に感染したネズミであった。そのネズミをノミが吸血し、次いで人がそのノミに血を吸われることで感染した。
黒死病は一度ならず、何度も大流行を引き起こし、人類の大量死をもたらした。記録に残っている最初の大流行は、541年に地中海一帯を支配していた東ローマ帝国で起きた。
(via pipocasocial)
ピーク時には1日に5000人以上が亡くなり、何度も流行を繰り返して、200年の間に2500万~5000万人が亡くなったとされる。これは当時の世界人口の13~26%に達するほどだった。
(via wikipedia)
東ローマでの流行は750年頃に完全収束したものの、それから約600年後の1345年に、今度は全世界にわたる史上最大規模の大流行が始まった。
感染者は体中が腫れ上がって、熱を出して吐血し、最終的には体が壊疽を起こして黒ずみ、死んだ。黒死病という名前も、感染者の外見からそう呼ばれるようになったのだ。
この流行によって、全世界で8000万人が亡くなり、中国の人口は半分になり、ヨーロッパの人口は1/3から2/3になったと推定されている。ヨーロッパでは、黒死病流行以前の人口に戻るまで250年を要するほどだった。
(via Shropshire )
1855年に中国の雲南省で始まった三度目の大流行は、インドと中国で1200万人の死亡者を出した。年間死亡者200名以下になるまで100年以上かかり、流行が終わったのは1960年だった。
人類はこれらの危機を乗り越え、現在では公衆衛生の向上と抗生物質の発明により、感染者は劇的に減少した。
2.人口の崩壊
(via pixabay)
約100万年前、人類は絶滅の危機に瀕していたとする研究結果が、ユタ大学の研究チームによって発表された。その数は、繁殖可能な人口で2.6万人以下と見積もられ、1.8万人まで減っていた可能性も指摘されている。
この数は、現在絶滅危惧種に指定されているゴリラの2.5万匹、チンパンジーの2.1万匹と同等である(※繁殖可能個体の数)
どうして絶滅一歩手前まで行ってしまったのかは分かっていないが、様々な説が提唱されている。そのうち2つが最も有力であり、ひとつに巨大地震や火山噴火による大量絶滅、2つ目は一つの地域に人口が集中したため、食料が足りなくなり殺し合いが起きたとする説である。
(via Wikimedia )
何が起こったにせよ、人口を激減させた事象は長期的な影響を残した。化石証拠に基づくと、それ以降人口は数万年に渡って増えることなく、1.8万人前後をさまよっていたことが示唆されている。
これだけ人口が少ないときに、もし別の破滅的な事象が起こっていれば、人類はここで絶滅していたかもしれない。
3.スペインかぜ 死者数5000万~1億人
(via wikipedia)
スペインかぜは、史上最悪のインフルエンザの大流行である。現在でも毎年冬頃になるとインフルエンザの感染がニュースで報道され、毎年世界で死亡者数は25万~50万に上るが、スペイン風邪ほどの犠牲者を出した流行は未だ存在しない。
1918年に勃発したこのインフルエンザの感染者数は5億人、死亡者数は5000万~1憶人に達した。しかもこの被害は非常に短期間で起きた。黒死病が100年かけて奪った命を、スペインかぜはおよそ半年で奪ったのである(25週間で約2500万人)。
(via wikipedia)
当時の世界人口が18~20億人だったので、約3割が一度は感染していたと考えられる。もちろん日本も例外ではなかった。当時の人口5500万人に対して感染者数は2300万人、死亡者数は48万人とわかっている。
(via wikipedia)
(via wikipedia)
スペインかぜの病原体は、よく知られたA型インフルエンザウイルスであったが、通常のインフルとは異なり、非常に致死率が高かった。インフル重症患者の致死率は通常0.1%だが、スペインかぜは最大で20%に達した。
そしてなぜか、若い人の致死率が非常に高かった。アメリカでは、インフル死亡者の99%が65歳以下であり、その多くが若者だった。
またインフルは冬に流行ることが多いが、スペインかぜは夏から秋にかけて大流行した。
(via Pixabay)
おそらく若い人の致死率が高かったのは、この病原体が強い免疫力を致死的な弱点へと変えてしまったことが原因だとされる。免疫系が過剰反応を起こし、感染箇所に免疫細胞が集中。これが肺に起こって肺炎を招き、気道をふさいで呼吸困難から死亡に至った。
4.トバ火山の大噴火
(via Wikipedia)
約7万年前、インドネシア・スマトラ島のトバ火山で起きた大噴火は、地球上で起きた史上最大級の噴火と言われている。この噴火で放出されたエネルギーはTNT火薬1ギガトン分で、長崎に落とされた原子爆弾で換算すれば、4万個分以上のエネルギーがあった。
(via google)
噴出したマグマの量は2800km3と推測され、オリンピックプールの容量で換算すると1兆杯分だ。そして大気中へ巻き上がった大量の火山灰は、6年以上に渡って太陽の日差しをさえぎり、地球の平均気温を5℃下げた。
(via Picryl)
何年にも渡って太陽光が地表に届かない環境では、植物が死に絶え、それを食べる草食動物が激減し、そして食物連鎖の頂点に立つ人類に計り知れない影響を与えた。人類のほとんどが餓死し、当時の人口は1万人以下まで激減したと考えられている。
5.第二次世界大戦
(via wikipedia)
WWⅡは、およそ8500万人もの死者を出した人類史上最大の大戦争だった。軍人の死者は2500万人、民間人は5000万人、ドイツ・ナチスによる大量虐殺で1000万人以上が亡くなったとされており、これらの死者数は1940年当時の人口の3%に当たる(23億人)。
戦闘による死亡だけでなく、戦争が原因で起きた飢餓や病気の死者もきわめて多かった。ロシアでは戦時中に800~900万人が餓死した。またWWⅡで初めて使用された原子爆弾は、たった数日で20万人近くの命を奪うことになった。
6.天然痘 死者数3億~60億?人
人類が紀元前から苦しめられてきた感染症であり、20世紀だけでも天然痘で3億人が死亡したと見積もられている。20世紀の100年間で亡くなった人口は合わせて約47億人であることから、全ての死者のうち約6%がこの病気のせいで亡くなったと言える。
紀元前1万年以上前から存在したこの病気が、常に20世紀と同様の致死率を維持していたとしたら、天然痘の累計死者数は60億人を超える。
(via wikimedia)
天然痘ウイルスは風邪のようにくしゃみや咳、体液によって伝染し、寝具や衣服から移った例も報告されている。剥がれ落ちた膿疱のかさぶたは、1年たっても感染力を維持するほどだった。また患者と1.8m以内で長時間の対面をしているだけでも、感染はよく起こった。
感染すると40℃前後の高熱を発し、体中に膿疱ができる。この膿疱は体表だけではなく、体内の臓器にも同じように現れ、呼吸困難等を発症し、死に至る。その致死率は20~50%に達していた。
(via wikipedia)
日本での大流行は、735~738年ごろの奈良時代であった。朝鮮半島から九州の大宰府に戻ってきた日本人漁師がウイルスを持ち込んだとされ、それが瞬く間に九州全体へ伝染していった。多くの地主が死亡あるいは、土地を放棄し、それによって収穫量が激減して飢饉が起きた。
そして今度は、朝鮮半島から戻ってきた使節団によって、奈良の都にも天然痘がまん延した。感染は階級を選ばず、貴族であろうが関係はなかった。
天然痘で政権を握った藤原の四兄弟が相次いで死亡し、その他の高位貴族も多くが亡くなった。こうして政治を行える人材が激減したため、朝廷の政治は大混乱に陥った。流行の収束までに、成人人口の25~35%が亡くなったと推測されている。
(via wikipedia)
一方で中南米のアステカ、インカ帝国では、ヨーロッパ人の入植者によって天然痘ウイルスが持ち込まれた。特にインカ帝国では、天然痘によってたった数年間で60~94%の人口が死に絶え、弱体化した帝国はスペインに征服され滅亡した。
このような恐ろしい被害をもたらした感染症は、18世紀後半に天然痘ワクチンが発明され、それが世界的に広がったことで、1980年以降は一人も患者が出なくなった。完全に根絶されたのである。
現在では、天然痘ウイルスは自然界に存在しないとさえ言われており、人類が初めて自らの手で根絶したウイルスとなった。
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とても勉強になった