慈善行為のせいでひどい事態になってしまったケース
恵まれない人々や被害にあった人々に善行を施していたはずが、最悪の事態をもたらしてしまったケース4例をご紹介していこう。
1.先進国の洋服の寄付のせいで、アフリカの繊維産業が崩壊
(via BBC)
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善意で寄付されたはずの洋服が地元の産業を破壊することになるとは、まさか思いもしなかっただろう。
欧米で寄付された中古服が、アフリカに輸入されるようになったのは、1980年代初期のことであった。その輸入量は、ケニアだけでも年間10万トンにも上った。そしてそれらの多くは、ケニアの市場で格安に売られた。
中古品ではあったが、欧米で作られた衣服はかなり品質が高く、国民の多くが地元の繊維工場で作られた服を買わなくなり、寄付された衣服を選ぶようになった。
(via akeza)
こうして、地元の繊維産業は壊滅的な打撃を受けることになった。ケニアでは、1980年代の繊維産業就労者は50万人に上っていたが、数多くの繊維会社が縮小、倒産し、2015年には2万人前後となり、96%以上減少した。
この事態を受けてアフリカ各国の政府は、地元の繊維産業の復活を目指すべく、寄付された衣服の輸入禁止を決定している。
2.国連の平和維持軍が引き起こしたハイチでのコレラ大流行(2010年)
(via wikipedia)
30万人以上が亡くなったハイチ地震からまもなくして、感染症のコレラが大流行した。80万人以上のハイチ人が感染し、9千人以上が亡くなったとされている。
その感染源となったのは、地震の救援に来ていた国連平和維持軍の一人であった。その人物はハイチの救援任務の前に、ネパールを任務で訪れており、そこでコレラに感染した。
(via U.S. Department of Defens)
彼がいた基地は衛生設備に不備があり、配管から排泄物が近くの川に漏れ出していた。そしてこの川の水は、地元の人々の飲み水に利用されていた。大地震による荒廃やハイチの不十分な水道設備によって、コレラは飲水を通じて瞬く間に広がっていった。
国連側は6年もの間、感染源が平和維持軍であったことを否定していたが、ついに2016年の国連総会でその事実を認めた。国連の代表である事務総長は、ハイチの人々に謝罪し、自らの辞任を発表した。
3.孤児をお金のために誘拐していた慈善団体
(via IBTimes UK)
フランスのNGOであるゾーイズ・アークは、武力紛争や自然災害で孤児たちに救いの手を差し伸べる慈善団体として2004年に設立された。だがこの慈善団体の職員らは、100人以上の子どもの誘拐未遂で懲役刑に処されることになった。
団体は子どもの身元を偽って、フランスで里親募集を行い、数百人の家族に対して1家族あたり最大70万円の金銭を受け取っていた。その募集で養子となる子どもは、スーダンのダルフール紛争で親を失った孤児だとしていたが、実際には親が健在なチャドの子どもだった。
子どもたちの両親は、より良い教育を受けさせる代わりに子どもを手放すよう、職員に説得されたと話している。だが職員らの犯行は未遂に終わり、子どもたちがフランスに連れ去られる前に逮捕された。子供たちは親元に帰ることができた。
4.救援物資の食糧とクラスター爆弾を紛らわしくした米空軍
(via Alltime10s)
2001年にアフガニスタンの少年が、クラスター爆弾を緊急食糧の小包と見間違えて拾い、爆発して亡くなる事故が起きた。このとき米空軍は、アフガニスタンへの爆撃を開始していたが、攻撃対象でない一般市民に援助を行うため、数万もの緊急食糧が入った小包を航空機から投下していた。
(via lassahnjs)
爆弾も非常食の小包も同じサイズで、両方とも黄色いプラスチックの袋に包まれており、見分けるのが困難だった。子どもたちは、この明るい色のパッケージを見て、人道的な援助物資だと思い込んでしまったのだ。そして命を奪われた。
クラスター爆弾は航空機から投下されても、最大30%が爆発せず地表に居残る。そして地雷のように何年間にもわたって人の命を奪う可能性があるのだ。
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