歴史上最悪の破壊的な大火事・4選
世界各地の史上最悪と言われる大火災をご紹介していこう。
1.同じ日に起きたペシュティーゴ火災、シカゴ大火、ミシガン大火(1871年の大火)
(via boingboing)
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1871年10月8日は、アメリカ史上最大の火災が五大湖周辺で同時多発的に発生した日である。ウィスコンシン州・ペシュティーゴにおける火災は、東京都の2倍以上の森林(4900キロ平米)を焼き尽くし、1500~2500名の命を奪った。
(via wikipedia)
シカゴ市内の火災においては、市街地にある周囲9キロ平米の建物1.74万棟が焼け落ち、当時の人口の1/3である約9万人が家を失った。死亡者はおよそ300人とされる。その被害額は200億円以上、市の評価額の1/3に達した。
(via wikipedia)
またミシガン州でも大規模な森林火災が発生。東京都の5倍の面積(約1万キロ平米)まで延焼し、1200人以上の死者、数多くの建物の焼失、森林破壊や動物の死をもたらした。
(via mentalfloss)
火災がどうやって、どこで発生したのかについては、確証が得られていない。しかし当時は、農地開拓や鉄道建設のために、火を放って森を焼却し、土地を切り開くことが当たり前だった。だからいたるところに発火源があった。
(via wikimedia)
そしてこれらの火災が起きた日、寒冷前線が西から通過したことで非常に強い風が吹いていた。しかも火災周辺地域は数ヶ月雨が降っておらず、乾燥した草木が火災の燃料となった。そのため強風下で野焼きの炎が抑えられなくなり、各地でこのような大火災へつながったとされている。
2.暗黒の土曜日
(via 100resilientcities)
オーストラリアの最も人口密度の高いビクトリア州で、2009年2月7日(土)から起きた一連の火災は、同国内で史上最大規模の森林火災となった。
(via tbraceybushfire)
その日に州内では47以上の火災が同時多発的に発生し、それらの火災が何週間にも渡って広がり続けた。その結果、東京都の2倍以上の面積(4500キロ平米)が焼失し、173人が死亡、400人以上が負傷した。
(via Fred Rockwood/flickr)
ビクトリア州では2ヶ月前から極度の少雨と高温が続き、火災当日の週には熱波が襲来していた。メルボルンでは最高気温43℃を超える日が3日続いていた。
火災が起こる前日、当時のビクトリア州首相ジョン・ブランビーは「明日は、(火災が起きる条件として)州史上最悪の日になることが予想される」と公に警報を発表していた。
(via Andrew Brownbill/EPA)
火災当日、メルボルン市内は46.4℃という観測史上最高気温を叩き出し、湿度は2%にまで下がっていた。そして時速100kmを超える北西からの暴風が州内を直撃した。
(via abc)
最初に時速100キロ超えの風は、メルボルンから北に36km離れたキルモアイーストで送電線を倒壊させた。そのときに発生した火花は、乾燥した草木に燃え移り、巨大な火の玉に変わった。
(via wikimedia)
強風によって市街に飛び火し、驚くべきスピードで建物を焼き尽くしていった。最初に火災が起きたこの地域は最も被害が大きく、1800以上の家が崩壊し、159人が亡くなった。
(via theguardian)
発火の原因は、多くが送電線の倒壊によるものだったが、落雷や愉快犯による放火で生じたものもあった。そしてこれらの火災が完全に鎮火するまでには、1ヶ月以上を要した。
3.ロンドン大火
(via wikimedia)
1665年にペストの大流行を乗り切ったロンドンの人々は、来年は少なくとも今より良い年になると思っていたに違いない。だがそうはならなかった。
ロンドンで都市のほとんどの建物が焼失する大火災が発生したのである。
(via wikipedia)
(via wikimedia)
火災が起きたのは1666年9月2日の午前1時過ぎだった。ロンドン橋の近くにあるパン屋のかまどから出火した。当時のロンドンで火事はありふれたことであり、すぐに鎮火すると思われた。
しかしその年の夏は非常に暑く、数週間に渡って雨が降っておらず乾燥しきっていた。そして当時の建物のほとんどは木造建築で、街路も狭かったため、あっという間に他の建物に燃え移った。
(via wikimedia)
既にバケツでくんだ水で消火できるような状態ではなかった。被害を抑えるには、建物を取り壊して延焼を防ぐぐらいしかなかった。
イングランド王の命により、火の通り道となる建物の大規模な取り壊しが決定された。しかし火の勢いのほうが圧倒的に上回っていた。風が収まるまで火災は4日間続き、家屋の85%(1.32万戸)が失われた。
(via wikimedia)
記録に残っている死者は6名であり、被害の規模にしてはかなり少ないと思われる。だが貧困層と中流層の死亡は記録されていなかったとされ、実際にはかなりの犠牲者数が出ていたかもしれない。
それに加え、火災の高熱によって遺体と識別できないほどに炭化していた可能性がある。考古学者が当時の融けた陶器を調査したところ、火災時に1250℃の高温に達していたことが判明した。
4.明暦の大火
(via wikipedia)
日本史上最大の火災といわれる明暦の大火は、江戸時代の明暦3年1月(1657年3月2日)に起きた。江戸市街の3ヶ所で連続的に火災が発生し、江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半が焼失した。
正確な死者数は分かっていないが、3万~10万人と言われており、これまでに紹介した火災の犠牲者数よりも圧倒的に多い。
(via wikipedia)
特に被害が大きかったのは、幕府開府以来から続く古い密集した市街地であり、すべての建物が焼き尽くされた。江戸の市街地全体でも、6割近くの建物が失われた。
当時の様子を記録した書物によると、「明暦2年11月から80日以上雨が降っておらず非常に乾燥した状況が続いており、当日は午前8時ごろから北西風が強く吹き、人々の往来もまばらであった」という。
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