【韓国の闇】韓国三大未解決事件が怖い(事件詳細)

韓国中を巻き込んで大規模な捜査が行われたものの、残念ながら解決しなかった事件が存在します。それらは「韓国三大未解決事件」と呼ばれています。

これらの事件はいずれも2006年に時効を迎えており、たとえ犯人が現在見つかったとしても、法的処罰を受けることが無いのです。

今回は韓国三大未解決事件である「華城連続殺人事件」、「イ・ヒョンホ誘拐殺人事件」、「カエル少年事件」について詳細をご紹介します。

①.華城(ファソン)連続殺人事件

(↓事件現場)

(via blog)

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1986年から1991年にかけて、韓国北西部の華城群台安村で10人の女性が殺害された事件です。

警察・機動隊を合わせて延べ167万人が動員され、韓国史上最大規模の捜査が行われましたが、犯人を見つけ出すことが出来ないまま、2006年に時効をむかえています。

71歳女性の殺害から始まった連続殺人

(via worldstory12)

最初の殺人は1986年9月に起こりました。71歳の女性が首をしめられ、下半身をむき出しにされた状態で草むらの上に死んでいたのです。

それから1ヶ月後には、すぐ側の農水路で二度目の事件が起こりました。今度の犠牲者も女性で25歳と若く、遺体は裸にされ、胸部が刺されており、強姦の痕跡も残っていました。

また遺体発見現場では犯人の毛髪が発見され、後に犯人がB型であるということが明らかになりました。

それから2ヶ月後には、24歳の女性の遺体が腐乱した状態で発見され、その2日後にも同じ状態で別の若い女性の死体が見つかりました。この後にも殺人が引き続き行われ、全部で10人の女性が犠牲となりました。

(↓事件が起きた場所の地図:楕円の丸が遺体発見現場。全て半径2㎞以内で起きている)

(via fmkorea)

犠牲者の多くが犯人によってめちゃくちゃにおかされ、女性の身体の中には精液が残されていました。犯人は多くの証拠を残しており、毛髪や精液の他、指紋や足跡、タバコの吸いがらなども遺体発見現場で見つかっています

(↓犯人が残した足跡)

(via blog)

10件のうち少なくとも1件は模倣犯によるものだった

この事件の犯人は、女性をおかした後に首をしめるか、刃物で刺し殺害していました。その他にも雨やくもりの日に、赤い服を着た女性を狙っていたという事実もあります。

そのため、この事件をテレビで聞いた人物が、同様の手口で女性を殺害したのです。それが8人目の犠牲者でした。この模倣犯は逮捕されていますが、他の9件については関与してないことが明らかになっています。

しかしその他の9件についても、一連の事件が同一人物の犯行によるものなのかは疑問視されており、別の犯人の可能性もあると言われています。

犯人は何度も目撃され、犯人の手から逃れられた人もいる

(↓目撃者による犯人のイメージ像)

(via jhw3385)

事件現場で犯人と思われる人物が少なくとも7回は目撃されています。目撃者が語る犯人の特徴はどれも似通っていることから、目撃された人物こそが犯人だと推測されています。

また犯人に襲われたものの、命からがら逃げ切ることが出来た女性もいます。彼女の証言によれば、犯人は低い声をしていて、身長は166~170cm、手は柔らかかったと言います。

韓国史上最大の捜査が行われたが、逮捕できず

(via cfile30)

延べ約170万人の警察が投入され、捜査対象者は2万人以上に上り、3000人以上が取り調べを受けたとされます。これほど大規模な捜査は前例がなく、韓国国内では最大の人材が動員された事件となりました。

その捜査の結果、4人の人物を逮捕するにいたったわけですが、後にいずれも冤罪であることが判明しています。しかもこれが原因で罪を押し付けられた4人のうち2人が、自殺や尋問で死ぬことになったのです。

なぜ証拠がたくさんあったのに捕まえられなかったのか?
(↓犯人が落としていったタバコ)

(via cfile30)

それは捜査のほとんどが、被害者の周囲の人物、目撃者などの聞き込み調査や遺体発見現場の調査だけだったからです。

当時は、現在のDNA鑑定のような科学的な調査が精確にできなかったのです。

事件が起こったのは1986年であり、当時韓国にはDNA鑑定が導入されていませんでした。そのため8、9件目の事件が起きたときには、精液などの証拠は日本へ送られ、そこでDNA鑑定が行われていました。

しかし日本側の調査でもDNA鑑定の仕方に問題があり、また証拠が変質してまともな結果は得られませんでした。結局、確実な証拠が残っていたにも関わらず、犯人を特定することはできなかったのです。

②.イ・ヒョンホ誘拐殺人事件

(↓犠牲となった男の子)

(via wowtv)

1991年、当時小学3年生だったイ・ヒョンホ君が、ソウル江南区で誘拐され、殺害された事件です。身代金目的の犯行であり、犯人はおそらく、イ・ヒョンホ君の家族が裕福であることを何らかの形で知っていた人物だと推測されています。

しかし犯人を見つけることは出来ず、2006年に時効となり迷宮入りしました。

犯人は狡猾で、極めて残酷な人物だった

(↓犯人とされる似顔絵)

(via donga)

犯人は子どもを誘拐した後、家族に身代金目的の脅迫電話をかけました。その手法は、非常にち密で知的なものでした。犯人は、公衆電話を利用して両親を脅迫しましたが、逆探知されないように通話時間は全て数分以内にし、一方的に命令だけを伝えました。

また身代金の置き場所を指示する際も、警察に尾行されないようにするため、約束場所を随時変えながら連絡をとっていたのです。

しかしながら、これらのやりとりは44日間続いたものの、両親にとっては全く無意味なものだったのです。なぜなら、イ・ヒョンホ君は誘拐された直後に殺されていたからです。

犯人はイ・ヒョンホ君を誘拐後すぐに、スカーフとヒモで身体をしばって、口を目をテープでふさぎ窒息死させていたのです。

(↓イ・ヒョンホ君が発見された場所)

(via fmkorea)

イ・ヒョンホ君の遺体は、犯人と両親とのお金のやりとりがうまく行かず、犯人からの連絡が途絶えた1ヶ月後に発見されています。

遺体の司法解剖により、胃の内容物には誘拐される直前に家で食べた未消化の食べ物が残っていました。このことから、脅迫している時には既に子どもを殺害しており、お金だけを手に入れるつもりだったことが分かっています。

脅迫電話の声から犯人を特定したが・・

警察は声紋を分析し、一人の容疑者に疑いをかけました。容疑者の声紋は、イ・ヒョンホ君の親戚の声紋と完全に一致したのです。
それに加え、犯人が振込を指示した銀行口座は、この親せきと関係のある人物だったのです。

しかし、声紋以外には一切の証拠が得られず、この親せきがアリバイを立証したことで事件は振り出しに戻りました。その後も様々な目撃情報が報告されたものの、結局犯人を特定できずに時効を迎えています。

③.カエル少年事件

(↓行方不明となった5人の少年)

(via wikimedia)

2番目の事件と同じ年(1991年)に起きた、5人の小学生が山で失踪した事件です。

事件発覚後まもなく大規模な捜索が行われたものの発見できず、11年後の2002年に、白骨化死体となった5人が見つかっています。

カエルを捕まえに行き、戻ってこなくなった少年たち

(via Dela Rosa)

事件があった日は国民の祝日であり、休みを楽しみにしていた5人の少年は「臥竜山にカエルを捕まえに行く」と言って、山へ向かいました。しかし少年らは、夜になっても家に帰ってきませんでした。心配した親たちは話し合いの結果、失踪届を出すことにしました。

事件発覚後、町の人や地元の警察が山の中を必死に探し回ったものの、彼らがいた痕跡さえ見つけることは出来ませんでした。この失踪事件はメディアに取り上げられ、次第に熱を帯び、国全体を巻き込むものとなっていきます。

(↓カエル少年たちの親と支援者がチラシを配る様子)

(via bizarreandgrotesque)

当時の大統領である盧泰愚(ノ・テウ)氏は、子どもたちの捜索に30万人の警察官を動員することを決定しました。また国中に800万枚ものチラシが配られ、少年たちを発見した人に約400万円の懸賞金が支払われることになりました。

しかしこれらの努力もむなしく、事件に関する情報はほとんど得られませんでした。むしろこれを面白がる人物も出て来て、自分が犯人であると自称し、親たちに身代金を要求する人もいたのです。

事件から11年後、臥竜山の中で発見される

(↓発見された衣服)

(via mforum)

2002年9月、臥竜山でどんぐりを探しにハイキングしていた人が、山中で子どもの服と靴が散乱しているのを見つけました。この事件を思い出した彼は警察を呼びました。

警察官が近くを調べてみたところ、5人分の白骨化死体を発見したのです。見つかった場所は過去に何度も入念に探した場所でした。

発見当初は、遭難して亡くなったと考えられていた

(via wowtv)

警察は当初、少年らの死亡原因を低体温症としました。それは失踪当時、雨が降っていて寒かったからです。少年らが遊んでいるうちに道に迷って遭難し、体温を奪われたために命を落としたと考えたのです。

しかし少年の親たちは、これを受け入れることが出来るはずもありません。なぜなら、臥竜山は300mにも満たない山で、いつも遊んでいて山道を知り尽くしている少年たちが、5人そろって遭難するはずがなかったからです。

しかもどうして白骨化遺体と服が別の場所で見つかったのか、寒かったなら服を脱ぐことはありえません。それだけでなく、過去に500回も調べた場所で今頃見つかることは、他の人間の介入なしにはありえないと考えたからです。

後に警察は、死因を低体温症としたことは誤りだったと認めています。司法解剖の結果、3人の頭蓋骨には鈍器のようなもので殴られた後が見つかりました。また残り2人は頭蓋骨に穴が開いており、おそらく穴の大きさからショットガンでうたれたとされています。

(↓外傷の一部)


遺体は発見されたものの、あまりに時間が過ぎていたため、真犯人どころか容疑者すらあぶりだすことは難しく、新しい有益な情報が得られないまま、2006年に時効となりました。

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(最終更新:2017年5月17日)コメント0
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