生きて帰ってきた海外の風船おじさん(物語)

1982年7月2日、カリフォルニア上空のレーダーに謎の物体が発見された。最初に目撃された時、飛行機にしては小さすぎたので、誰もその物体が何であるか分からなかった。

当局が謎の物体に近づいたところ、それが明らかにおかしいことに気づいた。

その物体は、上空4900mでアウトドア用椅子に縛り付けられた男だった。

その男はラリー・ウォルターズ。 彼は、カリフォルニア上空を自作の飛行船で飛んでいた。

(via blackhatworld)

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【ラリー・ウォルターズ】

(via thetiredinsomniac)

ラリー・ウォルターズは、控えめに言っても奇妙な、しかし興味深い男だった。

ラリーは子供の頃に、陸海軍の払い下げ物資販売店に入り、そこで購入できるゴム気球(気象観測気球)に魅了された。初めてそれを見た後、自分が何をしたいのかを知った。

ラリーは空を飛びたかった。

【ゴム気球】

(via wikimedia)

20年間、ラリーは作戦を練っていた。年月が経つにつれ、飛行するチャンスを逃すわけにはいかなくなっていった。

どんな事業でもそうだが、ラリーには綿密に練られた計画が必要だった。ここに彼が考え出したものがあるのでご紹介しよう。

 
打ち上げ場所:自宅の裏庭

目標高度:海抜1800~2100m

目標地点 :モハーベ砂漠(自宅から100km以上離れた場所)

資金:50万円↑(妻のキャロルが50万円をしぶしぶ提供。また妻は、地上管制官を任された)

自作の飛行船:インスピレーションI、以下のもので構成されていた。

(via airspacemag)

A:アウトドア用チェア

ラリーは「非常に快適」と評し、1.1万円で購入
 
B:3.7リットル容器に入った湧き水30個
  
これは重しがわり。飛行船があっちこっちに行ったりしないよう、飛行船の重量のバランスを取ったり、標高を調整するために積み込んだ。

 
C: 45個のヘリウム入り風船(ゴム気球)

ラリーの装備

(via Jon Bois)

(A)BBガン
着陸したいときに、風船を何個か撃ち抜く

(B)高度計
高度を追跡するために使用

(C)市民ラジオ(CB無線)
飛行船の離陸時に、管制官役の妻と話すための無線。無線機の最大通話距離は約3.6km

(D)パラシュート
降下時の万が一に備えて

(E)ライフジャケット
海に落下したときに備えて

(F)予備のメガネ
目がかなり悪いため、メガネを落下させてしまった場合に備えて

(G)35mmカメラ
ラリーは、このカメラは高価で大したものだと報告している

(H)2リットルのコカ・コーラ
ラリーの好きな飲み物

(I)サンドイッチ
ラリーの昼食


出発の日

(via military)

妻のキャロルと友人ロンからなる地上作業員が、ラリーの乗った飛行船をつなぎとめるロープを切った。数秒のうちにラリーは飛んでいった。

飛行船は、海抜4900mの高さまで急上昇し、その高さで2機の民間旅客機から目撃された。これはラリーの計画外だった。2100m以下の高さで飛行する予定だったのに、2倍以上の高さまで上昇してしまったのだ。

(via thetiredinsomniac)

しかもラリーは、飛行の許可を連邦航空局から得ていなかった。そのことは妻以外に言わなかった。

ラリーと彼の飛行を広範囲に調査したマーク・バリーよると、彼の飛行経路は以下のようだった。

(via ssqq)

ラリーはモハーベ砂漠を目指していたが、その目標にはかすりもしなかった。着陸地点からモハーベ砂漠までは300km以上離れていた。

ラリーは海抜5000mの高さまで近づいたときに、風船をBBガンで撃ち始めていた。だが途中でメガネを落下させ、その後にBBガンも落として、撃てなくなっていた。

しかし幸運なことに、ラリーの懐には予備のBBガンが入っていた。

45分ほど空を飛んだ後、ラリーはバランスを崩さないように注意しながら、数発の風船を撃ち、着陸態勢に入った。

飛行船はゆっくりと下降していき、電線にからまって無傷で着陸した。しかしその電線が切れて、周囲に20分間の停電を引き起こした。

【着陸後のラリー】

(via The FAA)

事件後

着陸したラリーは、下で待ち構えていた警察に逮捕され、15万円の罰金を支払うことになった。

ラリーは着陸後、メディアの取材に対してこう答えている。

「これはやらなければならないことだった。20年前からこの夢を持っていたが、もしこの夢を叶えていなかったら、おそらく精神病院に入っていたことだろう」

【新聞記事になり一躍有名に】

(via ipblogging)

この事件が報道されると、ラリーは時の人となった。テレビ番組の出演や講演の依頼が殺到した。彼は長年勤めていたトラック運転手を辞めて、その仕事に専念した。

しかし、ラリーの名声は長続きしなかった。仕事はあっという間に無くなり、お金をほとんど稼げなくなった。

その後ラリーは、警備員として散発的にしか仕事を見つけることができず、15年間付き合った妻キャロルと別れた。

風船飛行から11年後の1993年10月6日、44歳のラリーは森の中で心臓に銃を突きつけて自殺した。

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物語

Posted by uti