死の運命から逃れる事ができなかった人達・6人
大きな事故から逃れることはできたものの、そのすぐ後に別の理由で命を失うことになった人たちのお話をご紹介します。
1. 242人が火災で亡くなったパーティへ出席するつもりだった女性が、直前で参加を取りやめ命拾いするも、それから1週間後に凄惨な自動車事故で亡くなる
(via dailymail)
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2013年にブラジル、サンタマリアのナイトクラブで起きたこの事故は、ブラジル国内で史上2番目に被害の大きい火災事故となった。
幸いにもこの火災から逃れたジェシカ・ロールさん(当時21歳)は、このパーティーの企画から手伝いをしており、チケットの販売も行っていた。だが、パーティーに行く間際になって、カレシから行かないように連絡が来たのだった。
彼女はカレシの言うことを素直に聞き、参加するのを止めた。
(via dailymail)
パーティーが始まって数時間後、バンド演奏の合間に打ち上げられた花火が天井の防音材に引火して火災が起きた。犠牲者のうち9割が煙によって命を落とし、少なくとも630人がケガをした。
命を救ってくれたカレシのことをヒーローのように思っていた彼女だったが、それからたった5日後、カレシと車での旅行中にトラックと正面衝突して彼女は即死、カレシは病院に搬送後亡くなった。
2.飛行機の衝突事故から生き延びた少女。だが救出に来た消防車にはねられ亡くなる
(via wikipedia)
(via Global Times)
2013年、韓国・仁川からサンフランシスコ行きのアシアナ航空214便が着陸に失敗し、炎上した。16歳のイェ・ユアンさんは、衝突の衝撃で座席から10m以上飛ばされた。
レスキュー隊は地面にうずくまる彼女の存在に気づくことができず、飛行機の消火活動を行い、周囲を消火剤で泡まみれにしてしまった。その結果、消火剤の泡の下にいた彼女を、応援に来た2台目の消防車がはねた。後の検死でも、消防車が直接的な死因となったことが明らかになっている。
(via Mountain Home Air Force Base)
この事故では乗員乗客307名いたが、亡くなったのは彼女を含め同じ中学の3名のみであった。
3.ショッピングモールで起きた銃乱射事件を逃れた女性が、後に映画館で起きた別の銃乱射事件で殺害される
(via Indiegogo)
ラジオ局のインターンとして働き、将来はスポーツキャスターを目指していたジェシカ・レッドフィールドさんは、2012年にトロントのショッピングモールで起きた銃乱射事件を運良く逃れた。
彼女はそのとき食べ物をお店で注文していて、迷ったあげくに持ち帰ることに決めていた。お店を出て数分後、フードコートで銃撃が始まった。彼女がいたかもしれない場所で、2人が亡くなり、多くの人が負傷した。
(via wikimedia)
だが彼女は結局、死の運命から逃れることはできなかった。その事件から1ヶ月後、コロラド州の映画館で「ダークナイト・ライジング」のプレミア上映会中に起きた銃乱射事件により亡くなったのである。
この事件では彼女を含め死亡者12人、負傷者58人が出た。犯人は24歳の博士課程の者だった。
4.アメリカ同時多発テロから生き延びた女性が、2ヶ月後に飛行機事故で亡くなる
(via Wikipedia)
ヒルダ・マヨールさんは、2001年に起きた同時多発テロのときにワールド・トレード・センターで働いていた。幸運にも彼女の職場は1階のレストランだったため、ビルが崩壊する前に避難することができた。
しかし彼女の幸運は長く続かなかった。事件から2ヶ月後に搭乗したアメリカン航空587便が離陸直後に墜落し、彼女は犠牲者265人のうちの一人になってしまったのだ。
当時彼女は26歳で、ニューヨークから故郷のドミニカ共和国へ帰り、母親や自分の子どもたちと一緒に休暇を楽しむ予定だった。子どもたちは偶然にも、2週間前にニューヨークを出ていたため無事だった。
5.心臓発作で医者から死亡宣告を受けた女性が棺桶の中で蘇生するも、その場で再び心臓発作を起こして亡くなる
(via nydailynews)
ファジリュさん(当時49歳)は2011年7月、自宅で胸痛を訴え、心臓発作で倒れた。病院へ運ばれたものの、医者は彼女が死亡したと誤診してしまった。
だがその後に彼女は起き上がったのだ。葬儀の最中、親戚たちがすすり泣く棺桶の中で。目を覚ました彼女は、生きたまま埋められるという恐怖に襲われたのか、悲鳴を上げ始めたが、そのショックで再び心臓発作を起こした。
急いで病院へ搬送されたが、再び医者により死亡が確認された。今回の診断には間違いがなかった。夫の話によれば、再び起き上がってから12分間しか生きられなかったという。
6.自分以外のチームメイトが飛行機事故で亡くなり、そのあとを追うようにして起きた事故でチーム全体の命が絶たれる
(via listverse)
1977年12月13日、エバンズビル大学のバスケチームが、試合のためにテネシー州立大学へ飛行機で向かった。しかし飛行機は離陸直後、コントロールを失い近くの野原に墜落した。
25人が墜落の衝撃で即死、3人はその事故現場で1人は病院に搬送された後に亡くなった。だがバスケチーム全員が死んだわけではなかった。選手の一人は足首の故障で試合に出られなかったため、偶然にも飛行機に乗っていなかったのだ。
その選手は幸運な人だと言いたいところだが、彼もすぐにチームメイトと同じ運命をたどることになった。事故から2週間後、弟と一緒に乗っていた車に飲酒運転の車がぶつかり亡くなったのだ。こうして12月の終わりまでに、バスケチームのメンバーが全員亡くなってしまった。
ディスカッション
コメント一覧
悲惨すぎる
冥福を祈る
ファイナルデスティネーションかな?
まさにそれ
10年くらい前のニュースだけど、学校のグラウンドで野球をしていた少年が雷に打たれて亡くなった。
問題は、グラウンドにはそれを囲むようにして避雷針が「11本」設置されていたのに、雷はその子を打ったということ。
思わず、その場にいた叔母と「もうこれがその子の寿命だったのかもね」と言った記憶がある。