奇跡的。飛行機事故でたった1人生き延びたケース(6例)

飛行機の墜落事故で、奇跡的にたった一人生き残った生存者の事例をご紹介していこう。

1.飛行機が山に墜落後、雨水で8日間生き延びたアネット・ヘルフケンス

【墜落現場】

(via nypost)

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1992年にベトナム航空VN474便が、ベトナム・ニャチャンの人里離れたジャングルに墜落した。小型ジェット機Yak-40に搭乗していた29人の乗員乗客は、オランダ人のアネットを除いて全員が死亡した。

【事故当時31歳のアネット・ヘルフケンス】

(via BBC)

【事故を起こした機体と同モデル:Yak-40】

(via wikipedia)

アネットはVN474便で、ホーチミンからリゾート地のニャチャンに向かい、婚約者と5日間の休暇を楽しむ予定だった。だが婚約者は墜落により、彼女の隣で即死した。

彼女は墜落する直前のことを、このように回想した。「モーターの加速する音が聞こえた。そしたら突然機体が急降下して、みんなが叫び始めた」「私と婚約者は見つめ合って、彼は手を伸ばして私の手を握った。私も握り返した。その後すべてが真っ暗になった」

彼女は墜落の際に意識を失い、目を覚ましたときには自分が崩壊した機体の中に一人でいることを知った。彼女の周囲には旅行かばんや遺体が散乱していた。

驚くべきことに彼女は墜落時、シートベルトをしていなかった。命が助かったとはいえ、股関節とアゴを骨折し、すねから骨が突き出て、肺の虚脱も起こしていて重傷だった。だから彼女は単に運が良かったにすぎないのだろう。

彼女はこのジャングルでただ一人、飢えを雨水でしのぎながら、救助が来るまでの8日間を生き延びた。

2.飛行機が雷に打たれ、高度3,000mから墜落。11日間アマゾンで生き延びたユリアナ・ケプケ

【ユリアナ・ケプケ】

(via Atlas Bar)

墜落事故が起きたのは、1971年のクリスマスイブの日だった。ユリアナは前日にペルーのリマで高校の卒業式を終え、生物学者の父親と会うため、母親と一緒にLANSA508便でアマゾン熱帯雨林内の町へと飛んだ。

だが彼女が乗っていた機体のロッキード L-188は、激しい雷雨に巻き込まれ、上空3000mで雷に打たれた。飛行機は空中で崩壊し、彼女はその高さから落下した。

91名の命が失われた事故で、彼女だけが大怪我を負うこと無く助かったのは、複数の好条件が重なったためであった。

(via Todays Weather and News)

彼女はシートベルトをしていたため、座席に固定されたまま落下し、それがクッションになったこと。また彼女の両側のシートがパラシュートのような働きをして、落下速度を遅くしたこと。そして生い茂る木々の葉が落下の衝撃を和らげたために、彼女は生還できたのだと考えられている。

【事故機と同モデルの機体】

(via wikipedia)

彼女は墜落から半日して意識を取り戻した。最初に隣の席にいた母親を探したが、見つけることはできなかった。しかし、後の調査で母親は墜落後に数日間生きていたことが判明している。

彼女は母親の捜索後、小川を発見した。そのとき父親の教えが頭にパッと思い浮かんだそうだ。それは「下流をたどれば、必ず文明にたどり着く」だった。

彼女はこの言葉を信じ、ごく僅かな食糧だけで小川の中を10日間下流に向かって歩き続けた。そしてついに停泊中のボートと小屋を見つけたのだった。彼女は地元の漁師に発見され、飛行機で病院へ運ばれ、命を助けられた。

3.インド洋に墜落し、9時間以上瓦礫につかまっていた少女。バヒア・バカリ

【バヒア・バカリ(1996年生まれ)】

(via Alchetron)

2009年、当時14歳だったバヒアは、乗員乗客152名が乗ったコモロ行きのイエメニア626便で、たった一人の生存者となった。彼女は母国のフランスを母親とともに出発し、コモロで夏休みを過ごす予定だった。しかしその計画は、到着直前に水泡に帰した。

【事故機:A310-324】

(via wikipedia)

彼女が乗っていた飛行機は、アフリカ沖のコモロに到達する14km手前で、着陸進入中に失速してインド洋上に墜落したのである。機体は水面にぶつかりながらバラバラになり、彼女は海上に投げ出された。

【赤の点が墜落場所:コモロから北に14km】

(via wikimedia)

彼女はライフジャケットを着ておらず、水泳技術も最小限しかなかったが、機体の残骸に何とかつかまって救助を待ち続けた。墜落時刻は夜の10時50分であったから、暗闇の中で一夜を過ごさなければならなかった。

彼女によれば墜落当初、他にも生存者がいたという。他の人の声が聞こえたからだ。だが翌日には静かになり、声も聞こえなくなった。その犠牲者の中には、彼女の母親も含まれていた。

また救助される前、水平線上に船を見かけたが、あまりにも遠かったので彼女に気づくことはなかったという。彼女は衝突からおよそ13時間に渡って機体の残骸にしがみつき続け、ついに捜索隊のボランティアによって救助された。彼女は亡くなった母親とともにパリの病院へ搬送された。

4.パラシュート無しの落下で生き延びた最高高度記録を樹立。ヴェスナ・ヴロヴィッチ

【ヴェスナ・ヴロヴィッチ】

(via wikipedia)

1972年、セルビア人の客室乗務員であったヴェスナは、スイスのストックホルムからセルビアのベオグラードに向かうJAT367便で、航空テロに巻き込まれ、唯一の生存者となった。

【墜落現場】

(via This Day in Aviation)

彼女は本来、この便に乗務する予定はなかった。乗務員にヴェスナという同名の人物がいて、その人と混同されたために搭乗することになってしまったという。だが彼女自身も、その間違いを指摘する気持ちはなかったという。なぜなら経由地のデンマークには一度も行ったことがなかったので、そこへ行くのを楽しみにしていたからだ。

【航路と墜落場所:ストックホルム~ベオグラード】

(via wikipedia)

しかし彼女が乗った小型ジェット機のダグラスDC-9-30には、クロアチア国家主義者の持ち込んだ爆発物が仕掛けられていた。ジェット機はチェコ上空10,160メートルを飛行中に、手荷物室の爆弾が爆発して空中分解した。

【事故機のダグラスDC-9-30姉妹機】

(via wikipedia)

同機には乗員6名と乗客22名が搭乗していたが、高所での落下のため生存は絶望的とされていた。しかしヴェスナは、いたるところから出血し、各所に複雑骨折を負い、記憶喪失も患っていたが、奇跡的に救出されたのだ。

(via Airlive)

彼女のこの奇跡は、パラシュートなしで最も高い高度から落下して生還した記録としてギネス世界記録に認定されている。彼女は事故の後遺症で、一時期的に下半身に麻痺があったものの、後に回復した。また墜落直前から1ヶ月後まで記憶を喪失していたため、この悲惨な事故の後でも、飛行機を乗ることに恐怖を感じることはなかったという。

後の調査で彼女が唯一生存できたのは、他の犠牲者が機体から投げ出されたのに対して、彼女は後部座席で機体の残骸に閉じ込められたまま落下し、山の斜面にある木々をすべるように着地したため生存可能な衝撃で済んだからだと考えられている。

5.当時アメリカで2番目に死者を出した航空機事故の生き残り。セシリア・シチャン

【セシリア・シチャン】

(via OregonLive)

1987年8月16日、ノースウェスト航空の255便が起こした衝突事故で、乗員6名、乗客149名中148名が亡くなった。唯一の生存者は、4歳の少女、セシリア・シチャン。彼女は両親と6歳の兄と旅行に行く予定だった。

【事故現場】

(via wikimedia)

事故が起きたのは255便の機体DC-9-82が、デトロイトの空港から離陸した直後だった。高度15m前後の高さで機体は左右に揺れ始め、失速して左翼が照明灯に接触した。その衝撃で左翼が崩壊し、機体が火を噴いた。その後大きく左に90度振れて、左翼がレンタカー店の屋根を切り裂いた。

機体は完全に操縦不能となり、交差点の自動車に突っ込んで地上にいる2人の命を奪った後、爆発炎上した。事故の原因は、離陸前にチェックリストの確認を飛ばし、フラップとスラットを展開し忘れたパイロットのミスであることが判明した。

6.飛行機の衝突後、座席に座った状態で見つかったジョージ・ラムソンJr

(via George Lamson Jr.)

1985年、17歳のジョージは週末のスキーを楽しんだ後、ミネソタ州ミネアポリスに向かうギャラクシー航空203便の最前席に座っていた。彼の隣の座席には父親が一緒にいた。

【事故機:ロッキードL-188エレクトラ】

(via wikipedia)

飛行機の離陸から墜落までは、30秒しかなかった。離陸直後、機体は予期せぬ振動をしてすぐさま墜落したのだ。その衝撃で、ジョージは機体から座席ごと投げ出され、座席が直立した状態で幹線道路の真ん中に着陸した。

【墜落現場】

(via Las Vegas Sun)

そのとき彼には、意識があった。彼は自らシートベルトを外して、飛行機が爆発炎上する前に安全な場所まで歩いて避難することができた。彼以外にも、彼の父親を含め2人が墜落から生存した。だが2人とも重度の火傷と頭部外傷を負い、数日後に病院で息を引き取った。

【30年後、CNNのドキュメンタリーに登場したジョージ(47歳)。結婚し子どもをもうけ幸せに暮らしている】

(via Daily Mail)

後の調査で、整備士とパイロットのミスが重なったことが墜落の原因であると判明した。整備士は離陸前に、機体の振動の原因となった圧縮空気の装着口の扉を閉め忘れていた。そしてこの振動は、機体の飛行に影響しないものだったが、パイロットはエンジントラブルだと誤信してしまった。

機長はエンジントラブルの原因を突き止めようとして、高度わずか60mでエンジン推力を最低上昇出力以下に絞り込んだうえ、副操縦士も注意を払わなかったため、失速状態に陥った。墜落の6秒前、機長は最高出力を指示したが、既に手遅れだった。

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雑学

Posted by uti