無実の罪で死刑となった人たち・6人(冤罪)

2019年5月17日

1.他人の空似で死刑。カルロス・デルーナ

(via Corpus Christi police department)

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1983年、テキサス州のガソリンスタンドで、女性店員のワンダ・ロペツ(28歳)がナイフで刺殺された。偶然にも犯人が逃走する姿は、ニ人の男性によって目撃されていた。その証言をもとに、犯人の特徴と一致していたカルロス・デルーナが逮捕された。

しかし、デルーナが犯人である物的証拠はひとつも存在していなかった。彼は潔白を主張し、真犯人を特定さえしていた。彼の顔見知りで、同名のカルロス・ヘルナンデスが真犯人だと訴えたのだ。

【(左)カルロス・デルーナ、(右)真犯人のヘルナンデス】

(via Alltime10s)

写真の二人は、身長と体重もほとんど同じで、顔もかなり似通っており、しばしば双子と見間違えられることさえあった。それゆえ2人の目撃者が、デルーナとヘルナンデスを見間違えたとしても、何もおかしいことはなかった。

だが検事は、カルロス・デルーナの主張はでっち上げであり、そもそもヘルナンデスという男自体、彼が作り上げた「妄想の中の人間」でしかないと結論づけた。

彼はこうして無実の罪で死刑判決を受け、それから6年後に毒物注射による処刑で亡くなった。

【実際の薬殺室】

(via Wikimedia)

彼の死刑執行から4年後、死刑の専門家であったリーブマンによる調査で、ヘルナンデスという男は実在し、前科39犯の犯罪者であったことが明らかになった。そしてヘルナンデス自身が、周囲の人に女性をナイフで殺害していたことをほのめかしていた。

だがヘルナンデスは、デルーナの処刑から2ヶ月後、別の事件で10年の懲役刑を受けていた。彼は殺人の罪を償うことなく、獄中で自然死した。

2.命の恩人になっていたかもしれないのに死刑。フージャット(Huugjilt)

(via Yibada)

1996年4月9日、内モンゴル自治区出身の少年フージャット(18歳)が、女性の叫び声を聞きつけ、公共トイレに駆けつけた。

しかし彼がその女性を発見したときには、既に手遅れだった。女性は強姦された後に首を絞められ死んでいたのだ。彼はすぐに電話で警察を呼んだ。彼の勇敢さはたたえられるべきだったが、警察は彼を逮捕し、強姦致傷で告訴した。

フージャットは、無罪を主張していたが、警察の尋問により嘘の自白を強要された。そしてこの事件の裁判は、この自白に基づいて進められることになった。

確実な証拠は無かったものの、当局者らは刑事事件解決のノルマをこなすため、たった2ヶ月で死刑判決を下した。

死刑は、判決の1ヶ月後に実行された。彼は18歳の若さで銃殺刑に処された。

真犯人の自白

【真犯人】

(via murderpedia)

フージャットの死刑から9年後、13人の女性を強姦し、10人の女性を殺害したジャオ・ジホンが、この事件の犯人であることを自白。2015年には、この男の死刑判決が決定された。

3.放火で実の娘を殺害したとして死刑。キャメロン・ウィリンガム

1991年、テキサス州のキャメロン・ウィリンガムの自宅で火事が発生し、自宅にいた3人の娘が亡くなった。ウィリンガムは軽い怪我を負ったものの、自宅から避難することができた。また当時、彼の妻は自宅にいなかった。

【家族写真】

この火事は故意に引き起こされたものだとする疑惑が持ち上がった。検察側の主張では、家の焼け跡からライターオイルのような燃焼促進剤が使われた証拠が見つかったという。その液体は自宅の3箇所にバラまかれたとされたが、臨床試験で確証が得られたのは玄関先だけだった。

検察は動機に関して、娘たちの虐待を隠すために放火したと述べているが、妻は「キャメロンが子どもたちに虐待したことは一度もなく、むしろかなり甘やかしていた」と証言している。

彼は1992年に開かれた裁判の間、罪を認める代わりに終身刑へ減刑する交渉を受けたのだが断っている。その後死刑判決を受けたが、彼は無実を主張し続けた。しかし、2004年に薬殺刑に処された。

専門家らによる調査で放火の証拠は無いことが判明

処刑直前の2004年、火災科学の専門家が調査を行っており、その結果、燃焼促進剤が放火に使われたとする証拠はかなり疑わしいものであると結論づけられた。

玄関先に液体の燃焼物があったことは確かだが、焼失前の自宅の玄関にはグリルが置いてあり、そのグリルの着火に使うオイルが、消火時の放水でまきちらされた可能性が高いとした。

また彼の処刑から5年後に再び科学捜査が始動したが、最後まで放火の証拠は見つからなかった。そして有罪を決定させる要因となった重要な証言も、検察官によって誘導されたものであると証言者がばらしている。

4.髪の毛が似ていたという証拠で死刑。コリン・ロス

(via Murderpedia)

1922年、コリン・ロスはオーストラリアのメルボルンで、ワインショップを経営していた。そのワインショップの近くの路地で、12歳の少女アルマ・ティツチクの遺体が見つかった。少女は、強姦され首を締められ死んでいた。

【殺害された少女アルマ】

(via Courier Mail)

コリン・ロスには、事件当時アリバイがあった。ワインショップにいたお客が、犯行時間とされる間に、彼がショップから外に出ていなかったことを証言している。

だが、彼の自宅からアルマと似た髪色の毛が見つかったことで、彼は逮捕された。裁判でコリン・ロスの弁護士は、毛髪について詳細な調査を要求したが、裁判官によって却下された。こうして彼は首吊り刑に処された。

DNA検査で別人の者と判明

事件から約70年後の1993年、元教師のケヴィン・モーガンがこの事件に興味を持ち、調査を始めた。彼は犯罪の証拠となった毛髪をなんとか手に入れ、それを信頼性の高い機関に提出し、DNA検査を行ってもらった。

その結果、コリン・ロスの自宅で見つかった毛髪は、アルマのものでないことが明らかになった。彼の潔白が証明されたのである。

真犯人は明らかになっていないが、おそらく小児性愛歴があったアルマの親戚ではないかと言われている。

5.誰も死んでいなかったのに偽りの証言で死刑。ジョン・ペリーら家族

(via wikimedia)

1660年にイングランド、チッピング・カムデンの地主であったウィリアム・ハリソンが、突然消息を絶った。彼がいなくなったのは、借主からお金を集金するため、数km離れた村へ向かったときだった。

彼の妻は、召使いであったジョン・ペリーにウィリアムを探すよう命じた。そうしてジョンが見つけたのは、ウィリアムが身に着けていた帽子とシャツであった。帽子は切りつけられ、シャツは血だらけだったが、ウィリアムの遺体は最後まで見つからなかった。

ジョンは重要参考人となり、尋問を受けた。その高圧的な尋問で、自分がウィリアムを殺したのではなく、母親と兄が金のためにやったのだと自白した。また彼が兄にウィリアム家で強盗をするように勧めたこと、事件の1年前に母と兄が140ポンドを盗んでいたことも話した。

二人はジョンの自白を否定し、後にジョンもこの自白が嘘だったと主張したが、裁判でそれは認められず、3人とも首吊り刑となった。

【首吊り刑となった3人】

(via locimge)

ウィリアム・ハリソンの帰還

(via pixabay)

事件から2年後、ウィリアム・ハリソンは、リスボンからの船でイングランドに帰国した。ウィリアムは、自分が誘拐されて船に乗せられ、オスマン帝国の奴隷にされていたと語ったのだ。

誘拐から約1年半後に、彼は自らの主人が亡くなったチャンスを狙って抜け出し、港へ向かいポルトガル船にこっそり乗り込んで帰ってきたという。

6.連続殺人犯の代わりに死刑。ティモシー・エヴァンズ

【警察に連行されるエヴァンズ】


1924年にウェールズで生まれたティモシー・エヴァンズは、知的発達の遅れがあり、自分の名前以外読み書きすることは生涯できなかった。それでも彼は23歳のときにベリル・スザンナと結婚をし、1人の娘ジェラルディーンをもうけた。

しかし夫婦仲はかなり悪かったようで、口論と暴力は生活の一部のようになっていた。そんなときに、ベリルが2人目の妊娠をした。だがエヴァンズ家に経済的余裕がなかったため、当時法律的に禁止されていた中絶を決めた。

それから数週間後、エヴァンズは警察に出向いた。彼は妻を妊娠中絶させるため、怪しい飲み物を与えたら死んだと自首したのだ。そして自宅アパート近くの下水溝に、妻の遺体を捨てたと話した。

しかし警察が下水溝を調べても、遺体は見つからなかった。するとエヴァンズは話を一転させ、アパートの下の階に住むジョン・クリスティンに中絶手術を行ってもらったが、その手術が失敗して死んだと話した。最初の話は、ジョンを守るための作り話だと言った。

警察はエヴァンズの2回目の話を聞いて、アパート中を調べまわった。すると裏庭の洗濯場で、テーブルクロスに包まれたエヴァンズの妻とその娘の遺体が見つかったのだ。しかし死因は手術によるものではなく、絞殺だった。

その後、エヴァンズは警察から尋問を受け、妻と娘を殺したのかと質問された。彼は「イエス」と答えた。しかし後にエヴァンズは、これは自白の強要であり、朝から晩まで監禁され、自白しなければ暴力を振るわれると思ってそう言ってしまったのだと主張しした。

エヴァンズは裁判で、同じアパートのジョン・クリスティンが殺したのだと訴え続けていたが、その訴えは聞き入られることなく絞殺刑の判決が下った。

連続殺人犯が逮捕される

【連続殺人犯、ジョン・クリスティン】

エヴァンズの死刑から3年後、ジョン・クリスティンがアパートを引き払った。それからまもなくして、アパートの住人はジョンの使っていたキッチンで3人の女性の遺体を発見したのである。さらなる建物の捜索で、床下に3人の遺体が見つかった。その中にはジョンの妻もいた。

犯行の動機は、性的な欲求を満たすためだった。ジョン・クリスティンはネクロフィリアであり、死体に欲情する変態だったのだ。逮捕された同年に絞首刑が実行されている。

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雑学

Posted by uti