機関車衝突ショーなど信じられない昔の流行
かつて流行した奇妙な流行をご紹介していこう。全7つ。
1.金魚飲み込み
(via seeker)
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この馬鹿げた流行は、1939年にハーバード大学の学生から始まったものだ。ハーバードの新入生であったウィシントンは、大学のホールで金魚を飲み込めるかどうか、10ドルの賭けを行ったのである。
彼は大衆の面前で、全長9cm近くの金魚を口に入れて何回か噛んだ後、飲み込んで見せた。彼は後に「ウロコが、喉に少しひっかかった」と話した。
この出来事は、大学内だけの話で終わるかと思いきや、彼の賭けを見ていた中に雑誌のカメラマンが偶然いた。金魚食いの写真は雑誌に掲載され、アメリカ中の大学に広まっていった。
こうして大学間で金魚飲みの熾烈な競争が始まったのだ。ペンシルバニア大学では、ある学生が1度に25匹飲み、マサチューセッツ工科大では42匹飲み干した学生もいた。最高記録は、クラーク大学の学生による89匹だったという。
だがこの流行は、あっという間にすたれることになった。マサチューセッツ州の上院議員が、大学キャンパス内でのむやみな金魚の摂食を条例で禁止したからだ。
2.電話ボックス詰め込み競争
(via Rooster Teeth)
1959年、南アフリカ共和国の学生たちをきっかけに始まった流行。彼らは「電話ボックスにどれだけの人が入れるか」に挑戦し、25人を無理やり押し込めることに成功した。この挑戦中に電話が鳴ったものの、誰も出られなかったそうだ。
この記録をきっかけに、学生を中心に世界各地で記録更新が試みられた。カリファルニア州の大学では22人を電話ボックスに詰め込むことに成功し、南アフリカの記録に迫った。だがこの流行りは始まった同年に早くも収束を見せ、最初に樹立された記録が破られることはなかった。
3.ポール座り
(via Wikipedia)
「ポールの頂上でどれだけ長い時間座っていられるか」というチャレンジが1920年半ばに流行った。一種の我慢比べであったこの流行りは、1924年にスタントマンのアルビン・ケリーが最初に始めた。
彼はたくさんの人が集まった場所で、13時間13分ポールの上に座り続けた。彼のパフォーマンスはメディアの注目を浴びたことで、真似する者が相次いだ。すぐに彼の記録は更新され、12日、17日、21日と記録は伸びていった。
(via Fark)
最終的にこの記録は、125日まで伸びた。この記録の達成者リチャード・ブランディは、長年に渡ってポール座りのパフォーマンスを行っていたが、72歳のときに実演中、乗っていたポールが崩壊して亡くなっている。
ちなみにポール座り中の食事は、ロープとバケツを使ってポールの頂上まで運ばれ、排泄は地面とつながった小さなチューブの中にしていた。
4.決闘の傷痕
(via wikipedia)
女性は、顔に傷痕のある男性により惹きつけられやすいという研究結果がある。ただしこれは、短期的な関係を持つ場合に限るという。かつて傷痕をつけるのが流行ったのも、これが一つの理由だったのかもしれない。
ドイツでは1900年ごろ、上流階級の間で「決闘による傷痕」が人気だった。その傷痕は大学の学生決闘で、剣で戦った際につくものであり、名誉と階級の象徴とされていた。
(via wikipedia)
決闘は、学生同士の口論や暴力を発端に開始され、二人の参加者が剣を持ち合い、フェンシングのようなスタイルで戦った。当事者の片方に一定の負傷、流血が認められれば、決闘は終了となる。
当時は、血の気の多い傷痕を残すほど、より男らしさがあり、名誉であると信じられていた。そのため、決闘時にわざと傷をつけることもあったという。
誰もが決闘に参加できるわけではないので、流行に乗りたい人の中には、カミソリで自分の顔を切って、馬の毛で傷口を広げていたそうだ。
5.頭蓋骨の変形
(via wikimedia)
この宇宙人かと思わせる頭蓋骨は、人工的に変形させられている。頭蓋変形は、古代エジプトやマヤ文明で一般的に行われている習慣だった。
変形した頭は、ある文明において高い知性と社会的地位の象徴であり、別の文明では美的観念のひとつで魅力的であるとされた。
(via wikipedia)
好まれる頭の形はその地域の文化によって様々で、平らなもの、細長いもの、丸いものなどがあった。変形を受けさせられるのは、頭蓋骨が柔らかく脳が柔軟な、生まれて間もない赤ちゃんだった。
上記写真のように、赤ちゃんの頭に圧力を加えながら育てたり、頭をマッサージしたりして、無理やり目的の形に変えてしまったのだ。
6.機関車同士の衝突
(via wikipedia)
現在では絶対にありえない蒸気機関車の衝突ショーは、最初にアメリカのテキサス州で1896年に行われた。ショーの入場料は無料だったのに加え、テキサスから衝突場所までの乗車賃は2ドル足らずだったので、貧民から富豪まで刺激を求める人々が数多く集まった。
ショーの観衆は4万人以上に達したという。その観衆のいる目前で、35トンの蒸気機関車2台が時速80kmで正面衝突したのである。主催者側は観客の安全を確保していると発表していたが、衝突時に予想外のボイラー爆発が起き、多くの犠牲者が出た。
(via wikipedia)
衝突時、機関車の鉄製部品がミサイルのように飛び散り、ボイラーから飛び出した焼けつくような熱湯が観客を襲った。この事故で少なくとも二人が死亡し、怪我人が数多く出ている。
(via wikipedia)
これだけの大きな事故を起こしたにも関わらず、衝突ショーは多くの観客を見込めたことから、別の主催者によってより計画的に行われるようになった。1896~1932年に行われた機関車衝突ショーは、100回以上にのぼっている。
だが1929年に起きた世界恐慌をきっかけに、ショーの人気は縮小していった。不景気の中で汽車同士を衝突させるのは、あまりにもコストが掛かりすぎたのである。
7.ロバミルク風呂
(via Pascal)
古代ギリシアの医者ヒポクラテスによれば、ロバのミルクは中毒や肝臓病、熱、様々な感染症などあらゆる病気の治療に使われていたという。ロバミルク風呂が流行ったのも、このように何にでも効くとされたからだろう。
ロバミルクの入浴者として、古代エジプトのクレオパトラがよく知られている。彼女は若さと美しさを保つため、毎日その浴槽に浸かっていたという。しかしそのミルク風呂を用意するのに、毎日500頭分のロバのミルクが必要で、相当な人手と労力が使われた。
美を追求するため、ミルク風呂に入ったのはクレオパトラだけでない。ローマ皇帝ネロの2番目の妻ポッパエア・サビナやナポレオンの妹であるポーリーヌもロバミルク風呂の愛好家だった。
ちなみに20世紀頃、ロバミルクは牛乳と比べて人間の母乳成分に近いことから、母乳の代替として使われていた。だがウシは1日20リットルほどのミルクを生産するが、ロバは1リットルほどしか採れないので、牛乳と比べて希少性が高かった。
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